項が欠如すると視点が生まれる。これは主観性に関するいくつかの論文で書いた。
あの時、というダイクシス(直示性・場面指示性)で視点が生じるのと同じメカニズムだ。
ごめんなさい。早足で。多くの人にはわからないと思うがともかく。
ダンスはうまく踊れない、というのはその前の歌詞に「一人きりでは」とあるので当然のことだが、これを一般化してある2人以上を想定した行為、その場所、その時間、そのほかのスキーマがある際、そこに欠けている(満たされていない)項があると、情動を喚起するといえるかもしれない。情動というのは視点(個人とその内的世界の存在)を前提としているので項の欠如の話とつなげられなくもない。つなげられるかどうかは不問として、このテンプレートがひとつのモチーフとなれるかもしれない。
サンフランシスコには公園があった。コンサート会場に思える舞台の前には、空白となった白い椅子がいくつもいくつも列をなしていた。その映像は僕に、人類の滅亡後の世界を想起させた。
とかそんな感じだ。
主役のいない誕生日会。
一人で乗るシーソー。
いつもの飲み仲間に一人がいない。 とか。
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