昨日もいい一日だった気がするが減っていない。
朝ごはん なんだっけ?
昼ごはん なんだっけ?
夜ごはん カツコロッケ これがちょっと重いか。
そうそう、昼ごはんはほとんど食べずに、人参を1本蒸かしただけだった。
その代わり、そばの一束(335kcal)の2/3くらいをそのまま食べた。
朝ごはんは...カレー。
そうそう、昼ごはんにはその残りの玄米ブレンド白米を小さなおにぎりにして
食べもしたっけ。
動いていない。ほとんどといって動いていない。
except for カラコレのリズムを脚で取りながら歌いながら歩く。
家から杜仲茶を職場にもってきて、それをがぶ飲みしているので
もう少し下がっていると思ったのだが。
ひとつには、一昨日(水曜日)テニスをして筋肉が付き、食欲が上がったのも影響しているだろう。
こういう切り替え時は微妙なんだよね。
切り替え時という点では本書きをしているべきなところ、
カラコレのレッスンが日曜日にあり、明日土曜日にはKLCAMで京都大学で発表があるのでそれが錯綜してうまくいかない状態に昨日から入りつつある。
プロセスが錯綜すると本当に効率がダウンする。
関連してルーチンとプロジェクトについて考えている。
ルーチンとは定常業務、プロジェクトとは新規業務である。
ルーチンとは意味のない仕事、というか、何のためにするかを考えない仕事だ。
この話はTheory of Automatization/ Automaticity に関わる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Automaticity
http://miguelbengoa.com/elt/?p=703
http://psych.wisc.edu/ugstudies/psych733/logan_1988.pdf Gordon D. Logan
自動化理論というものがあるのだが、私は心理学の人間ではないのでわからないが、
これがあまり定着していないように思えるがどうしてなんだろう。あまりに大きなものを取り扱いすぎているんだろうな。でも身体性研究の普及とともに復活するか、同じような研究が別の名前でなされる必要があるだろうな。
で、ルーチンとはオートマチックな(なんてノスタルジックな呼称!)行為のこと。オートマチックなことがロマンチックであることは宇多田ヒカルが喝破してるわけだがそしてそれはタナトスと関係あるわけだが、ルーチンというアンロマンチックなものにもその一抹の要素があるわけで。
何を言ってるかわからなくなってきた。
ともかく、ルーチンとは、オートマチック、すなわち、「反復からなる無意識化、高速化、脱手順化」だったと思う。つまり考えない、つまり意味がないカプセル化されたプロセス。
僕は今長い眼で見ると、2007年にフランスに1年いたときに意図的にすべて捨て去ってしまったルーチンを少しずつ復活させようという過程にいるわけで。
ファイルを右から左に流すといった作業を思い出しつつやってみたりしてる。
ルーチンがすでに脱ルーチン化しているので、やっている途中でドンドン脱線する。それも試行錯誤の1つか。
そんなこんなで4つ(本、KLCAM、カンテ、再ルーチン化)の流れが錯綜して(これにアメフトに関するルーチンやらが入り)混乱状態である。
夏も悠々と老いつつある。
老いつつあると、8/6から考えているからすでに老境に入りつつある夏。
ともかく今日はKLCAM一本で。
朝ごはん なんだっけ?
昼ごはん なんだっけ?
夜ごはん カツコロッケ これがちょっと重いか。
そうそう、昼ごはんはほとんど食べずに、人参を1本蒸かしただけだった。
その代わり、そばの一束(335kcal)の2/3くらいをそのまま食べた。
朝ごはんは...カレー。
そうそう、昼ごはんにはその残りの玄米ブレンド白米を小さなおにぎりにして
食べもしたっけ。
動いていない。ほとんどといって動いていない。
except for カラコレのリズムを脚で取りながら歌いながら歩く。
家から杜仲茶を職場にもってきて、それをがぶ飲みしているので
もう少し下がっていると思ったのだが。
ひとつには、一昨日(水曜日)テニスをして筋肉が付き、食欲が上がったのも影響しているだろう。
こういう切り替え時は微妙なんだよね。
切り替え時という点では本書きをしているべきなところ、
カラコレのレッスンが日曜日にあり、明日土曜日にはKLCAMで京都大学で発表があるのでそれが錯綜してうまくいかない状態に昨日から入りつつある。
プロセスが錯綜すると本当に効率がダウンする。
関連してルーチンとプロジェクトについて考えている。
ルーチンとは定常業務、プロジェクトとは新規業務である。
ルーチンとは意味のない仕事、というか、何のためにするかを考えない仕事だ。
この話はTheory of Automatization/ Automaticity に関わる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Automaticity
http://miguelbengoa.com/elt/?p=703
http://psych.wisc.edu/ugstudies/psych733/logan_1988.pdf Gordon D. Logan
自動化理論というものがあるのだが、私は心理学の人間ではないのでわからないが、
これがあまり定着していないように思えるがどうしてなんだろう。あまりに大きなものを取り扱いすぎているんだろうな。でも身体性研究の普及とともに復活するか、同じような研究が別の名前でなされる必要があるだろうな。
で、ルーチンとはオートマチックな(なんてノスタルジックな呼称!)行為のこと。オートマチックなことがロマンチックであることは宇多田ヒカルが喝破してるわけだがそしてそれはタナトスと関係あるわけだが、ルーチンというアンロマンチックなものにもその一抹の要素があるわけで。
何を言ってるかわからなくなってきた。
ともかく、ルーチンとは、オートマチック、すなわち、「反復からなる無意識化、高速化、脱手順化」だったと思う。つまり考えない、つまり意味がないカプセル化されたプロセス。
僕は今長い眼で見ると、2007年にフランスに1年いたときに意図的にすべて捨て去ってしまったルーチンを少しずつ復活させようという過程にいるわけで。
ファイルを右から左に流すといった作業を思い出しつつやってみたりしてる。
ルーチンがすでに脱ルーチン化しているので、やっている途中でドンドン脱線する。それも試行錯誤の1つか。
そんなこんなで4つ(本、KLCAM、カンテ、再ルーチン化)の流れが錯綜して(これにアメフトに関するルーチンやらが入り)混乱状態である。
夏も悠々と老いつつある。
老いつつあると、8/6から考えているからすでに老境に入りつつある夏。
ともかく今日はKLCAM一本で。
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