2013年11月4日月曜日

リトールド

鬼を主役にした桃太郎のリトールドというのはあるのだろうか。キジは?おじいさんは?おばあさんは?鬼ヶ島は?お姫様は?お殿様は?

お姫様が桃太郎のこと、好きじゃなかったらどうだろう。

『小さな恋いのメロディ』 小考

『小さな恋のメロディ』のDVDを数年前に買っていて、それを数ヶ月前に見て、中学校の頃を思って感動した。小学生の少年と少女が駆け落ちをする話で、主人公のメロディとダニーが愛らしい。

 文脈主義について考えていて、文脈がフレームで構成されている、という考え方は、小説にも使えますね、例えば、『小さな恋のメロディ』という映画は...なんていう文脈で思い出したのだ。そう、この映画を四半世紀(ごめん、サバ読んだ)たった今見た新しい感想は、ああ、小学校フレームが十全に記述されているな、ということであった。朝礼、授業、理科室、音楽室、登校、下校、近所の秘密の隠れ家、全校集会などなど、小学校にまつわるエトセトラが逐一、順序よく登場する。ああ、みんなが知っている知識をベタに記述するだけでストーリーのいい出汁がでますね、いい骨格になりますね、ということを考えた。舞台がロンドンのパブリックスクールなので、朝礼を段差のついたシンフォニーホールみたいな大きな講堂でやるとか、生徒の制服とか、墓地のお墓の形が違うとか、文化差にも気づいてなかなか楽しいのだ。

 授業でバレエのレッスンを受けているところをのぞき見する場面ではメロディの顔が大写しになって、ダニーの主観的視点がよく捉えられていた。

 娘をトイレに連れていって眠れなくなった私は仕事のことを考えはじめ、冒頭の文脈主義の話から、この映画に思い至ったのだが、今、新しく気づいたことがある。メロディは登場の場面で金魚の小さな瓶に頬を寄せるようにして高く上げて眺めている。それは彼女が鐘を鳴らしてくる古物商に母のコートと引き替えにもらったものだ。そして、それは、一回目、自分の小物を持っていってオマケのような小さなものしかもらえず、あれが欲しいと指さして、あれはこんなんじゃだめだね、と古物商に言われて、家に取りに帰って母に無断で洋服掛けに並ぶものの中から無差別に持ち去ったコートが代償である。

 ずっと、無邪気な女の子としか思ってこなかった。金魚が欲しくてたまらない女の子。ビージーズのメロディフェア(ビージーズがトラボルタを生んだヒット映画『サタディ・ナイト・フィーバー』で再ブレークする前である)という曲に乗って街角の貯水に瓶から金魚を泳がせる優しい女の子。

 しかし、まあ、考えてみれば、母のものとはいえ、そして未成年とはいえ、人のコートを勝手に売り払ってしまうというのは犯罪ではなかろうか。交換の価値からすれば金魚とコートでは明らかにコートの法が大幅に上であろう。後先考えない女。欲望を我慢できない女。目的のためには手段を選ばない女。かわいらしくて、ほとんど自分の意見らしきものを話さないメロディの裏側にある意外な行動力に今回気づいたのであった。

 仲間の媒酌によって二人は結婚し、トロッコに乗って街に逃避行するのだが、これは原作者アラン・パーカーの実話から取られたと翻訳書の後書きに書かれていたはずである。二人きりで生活し始めて、結構苦労したんじゃないかな~アラン・パーカー。

 アラン・パーカーについてはまた後日。