2011年8月30日火曜日

烙印考

烙印(らくいん)
意義素・用例 類語・縁語
罪人・家畜などの烙印 (額の)焼き印(いん) ・ (罪人の)しるし ・ (焼きゴテによる)マーク
心などの烙印 (拭い切れない)記憶 ・ トラウマ ・ (精神の)傷 ・ (~による)刷り込み ・ (おぞましい)経験 ・ (払拭しがたい)いれずみ
烙印を押される (悪い)評価が下される ・ 男を下げる ・ 評判を落とす ・ (~と)決めつけられる ・ 汚名を着せられる ・ (~が)消えない汚点となる ・ (~という)レッテルを貼られる

ま、いいたいことは、烙印という言葉はほとんど比喩的な意味で使われるのに「家畜に押す(熱い)(黒い)(恒久的に残る)印」という原義が(酪農家でなくても常に頭の中に活性化していると思われる。

これはつまり、文化的人工物(cultural artefact @ Vygotsky) の重要性を示す。

さらに、多分、人間の「プリミティヴ」な生活への憧憬といったようなものを示すかも。つまりプリミティヴな営みやモノは、だれがなんのためにどこで何に対してそんなことをするのかという視点が取りやすい。個人語では「テイク」と言っているがプリミティヴなものはテイクしやすい。(これはずいぶん昔、(20年ほど前)パリで散策しているときに籐の家具や中南米や東南アジアの手織りの首掛けといったようなものがどうして好まれるか、安らぐかというテーマとして考えたことがある。それは、自分が作る過程を想像でき作成を(想像的な)体で(順を追って)動かせるからだ、という結論に達した(今でいうシミュレーション理論である)。機械織りなどではどうしてもそういった想像ができないことがあろう。ま、牧羊文化でない日本人にもテイクしやすいというのはひとつまた別途考えておかなければいけないわけだが。

一方で、烙印の例は、メタファー的変容、言い換えれば相互作用説的(@Max Black)様相も示す。

烙印の原義において中心的な要素は「所有を示す」ことではないかと思うが、喩義では「恒久的残る」ということが中心的な意味になっているように思われる。

さらに、悪いことに限られる。原義には評価性は存在しないが(淡々とした営みであろう)喩義はマイナスの評価を伴う。この由来には諸説あり得る。

1.烙印を押される人間を動物化するわけだからひどいこと、いやなことという意義が発生する
2.烙印の焼け焦げた「黒」が<悪は黒>(@日本語のメタファー)等から悪い意味を付け加える
3.烙印の「熱さ」は押される者に対する痛みや苦しみを表す(多分、1と同じ、または強く関連)

1と2は両立すると思う。
個人的には2の可能性は排除したくない。
1は、融合理論(@Fauconnier & Turner)のエマ-ジェント構造になろう。人間を動物に見立てるところから「悪い」感触がでてくるわけだから、それは比喩化によって発生したものだから。

お香が届いた 


お香が届いたのをやっと家から仕事場に持ってくる。Nag Champaのスーパーヒットというのが当仕事場の定番である。お香はほっておくとしけってしまうので、頂きもののKonigs-Kroneの木箱に入れてしまっている。そのお菓子はどんな味だったかは忘れてしまったし、どんなブランドかもまったくしらないのだが、木と烙印がいい感じなので使っている。

今回、お香を六角形の箱のものが見つかったので購入。ところがそれが木箱に入らない。ああ、このタイプは長いのか、と思い、箱を開けてみると中身は以前と一緒。

なんで、大きな箱にわざわざ入れるかなあ。

それからこの寓話は意味ありげだなぁ。

品物A       容器B        容器C

品物A    入る        容器C

品物A   入る   容器B
          容器B  入らない  容器C

品物A       入らない       容器C


本来は入るべき品物Aが大きな容器Bに入っているためにCに入らなくなったという...


まあ、ともかく、というわけで我が家のお香保管方法は再考せねばならなくなった。

2011年8月27日土曜日

岡本太郎の悠遠な感性

太陽の塔の後ろの顔の青は墨の青だ。後ろ暗い裏の顔。


***補記***
いわずもがなの解説を加える。岡本太郎の太陽の塔は「ともだち」の出てくる二十世紀少年にもモチーフとして使用されているが、数年前、現地でじっくり見てみると、ここの10年来概念的対応を考えていたのでそれにしたがって考えてみると大変精緻に出来上がっている。

とおもったとき、同じような印象を小学3年生のときに持った気がした。← Deja vu Ya he visto.

ま、それはいいとして、なにが精緻か?

太陽の塔には3つの顔がある。現在の顔、未来の顔、今は遺失してしまった太古の顔である。

上下 時代 大きさ 色 
上  未来 小   金
中  現在 中   赤青
下  過去 大   クロ?

と思っていたら太古の顔ではなくて地底の太陽。クロではなくて未来の鏡像的な顔であった。

ああ、論旨が破綻した。まあ、ここは黒が来るぞ、と予測させるところですでにスキーマに則っているのだし、それを敢えて破壊してるのが天才である、んで凡人に無碍に取り扱われて盗まれることになる契機はすでにそこのあったのだと煙に巻いておこう。

付け加え得るべき点は、現在にのみ「表」と「裏」があること。表が赤、裏が青という配色もいいじゃない?で、その青が、4本の仁義なき戦いと島田紳助事件の後に多分「墨」の寓瑜なんだろうな、と思い至ったわけなのである。

まさに近未来図的彫像。今にして唯一意外だったのは、あの頃に未来に立っている僕達にとって、世界はあいからわず現在の顔で、なんならもっとこう唇が歪んでしまっているように思われることである。




2011年8月26日金曜日

夏の終り

青いマーチのリアグラスに映る本当に青い空と白い雲。ある夏のある日の思い出。

2011年8月24日水曜日

カマダ

最近、食事を職場で取るようにしている。蛋白質を多めにして筋肉をつける。野菜をレンジでスチームする。このカマダのダシ醤油は優れものだ。井上マー実家日本酒国際賞受賞(勝手に)応援パーティの際に石坂先生がカマダの刺身醤油を持ってきてくれた。うまかったので自分でも使うようになった。豆腐に生姜をすりおろし、このダシ醤油をかける。味わいが深い。
野菜は、白菜、ブロッコリー、人参など。人参はベータキャロットというブランドを購入している。当たり前のことだが、野菜は品によって味が違う。そんなことに最近気づいた。昔はなんでもおいしかったように思う。トマトなんか、おいしいと感じられなくなって食べなくなったが、おいしいトマトが少なくなったからかもしれない。それでもおいしいトマトは存在する。昔おいしかったと思うのは選んでくれていた人がいたからかもしれない。cricket@人生のオーバーホール中。


2011年8月23日火曜日

今日の検索

「古くはアリストテレスに始まり」を検索する。

あまりの多きに3歩歩めず。

2011年8月22日月曜日

素性分析

私たちの時代は、

陽水派か拓郎派か
みゆき派かユーミン派か

で簡単に分類できると思います。

私は+陽水 +ユーミンでした。きれいなものが好きだったのです。

2011年8月14日日曜日

荒井由実

へ~こんなことができるんだ。ことばってすごいな、って思ったのがユーミンの詞だった。今思えば認知言語学でいうメトニミーである。

すこしだけにじんだアドレス
扉に はさんで
帰るわ
あの日に       (荒井由実 あの日に帰りたい)

にじんでいるのは、アドレスを書いた文字のインク
はさんだのは、アドレスを書いた紙

にじんだアドレス扉にはさんで、という4つの事物(にじむ、アドレス、扉、はさむ)だけで、全体の像と情感が浮かび上がる。なんという情報効率!

付け加えれば、にじんでいる悲しい作者の気持ち(実際に涙でぬれたのかもしれない)は、モノと感情を二重写しにしているからメタファーで、最後も帰る先は場所ではなくて過去の時間と<<時間は場所>>メタファーで締めくくって遠い目をしている。


2011年8月13日土曜日

曾根崎心中

読み終わる。近松は本当に天才だな。日本のシェークスピアか。

先日劇団ひまわりで聞いた大阪支社長の話では、演劇というのは能(=オペラ)と異なり、大衆芸術で、民主化の発展と連動しているそうだ。


ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare1564426日(洗礼日) - 1616423(グレゴリオ暦53)
近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、近松門左衞門、1653年(承応2年) -172516日(享保91122日)


ほぼ百年を隔ててはいるがイギリスと日本の経済社会の発展段階と重ね合わせれば時期が近いのは偶然ではなかろう。



徳兵衛がお初の女郎屋に隠れている。
客は徳兵衛をはめて金をだまし取った男。
客に見えないお初の足下の徳兵衛に向かって初が独り言めかして言う。

頼もしだてが身のひしで、欺されさんしたものなれども、
証拠なければ、理も立たず、この上は徳様も死なねばならぬしななるが、
死ぬる覚悟が聞きたい

と、足で問う。徳兵衛はうちうなずき、足首をとって、喉笛を撫でる。

首を掻っ切るしぐさを自分ではなく女の、手ではなく足で行う。

ああ、なんというブレンド。なんというエロスの極致。

2011年8月10日水曜日

映画007シリーズの終了が1965年
ウルトラセブンの始まりが1967年
セブンスターの発売が1969年

なんらかの符丁だろうか。