2014年6月29日日曜日

6/29

電池の残る限りこちらでつぶやくか。ほとんどないが。
今日は甲子園のキッザニアにいってきた。子供が「職業体験」できる、という場所だ。面白いけど高い。人がいないときにいったら面白いだろう。三井銀行やらANAやらSEIKOやら本物の企業が出典している。

freakish me

多様性をつきつめるとfreaksという概念に行き当たると思うのだがその連続性がまだつかめない。

「ふつう」と思っている自分が「ふつう」であることを疑うのはまずまっとうな第一歩に思える。

自分で自分が「狂っている」と思えたときがある。意外にみんな「ふつう」ではないのかもしれない。

freakな内なるものを抱えて、それを外に見せないようにしている力は社会的規範で、その力が具体的にどのように働いているかは検証の必要があるが、ひとつは自主的に「ふつう」の概念を共有し、「ふつう」なところを出して、「ふつう」でないところを出さない、という自主規制だろう。

フリークさは近くに寄らないとわからない、ということは多い。特定の人と近しくなってはじめてその人の異様さに気づくことというのはある。そのときには往々にしてすでにその人の磁場にはまってしまっていて抜き差しならないことになっていることもある。

ところでアメフトでfreakという必ずいい意味だ。beast, animal, monster, freak すべていい意味なのである。

日本語でも、野球選手に対して「怪物」は必ずいい意味だ。

2014年6月28日土曜日

6/27

LOEWEの革は美しい。しっとりとしたマットな光沢。いくつかを試してみたが着るよりも見て触っている方がやや楽しい。詳細は思い出せない。黒はやはりいいし、こげ茶もいい。緑の革もあったがシャレていていいなと思う。

その店は、いくつもの異なる会社の製品を取り扱っている店で女性物が主なのだが、聞けば男性ものもあるということで右の奥の壁のLOEWEから時計と逆回りに長方形の店内を歩く。あとは想い出せない。ジバンシーが悪くないなと思ったのだったかもしれない。男性物がおいていない企業もある。左奥の壁の手前にあるKENZOの小物を見ていると、「男性物は壁側です」と指摘を受ける。KENZOで一番気に入ったのは、落書きのような顔の下に、カタカナで「ケンゾー!」と書かれたTシャツだ。

BALLYが好きだ。2週間前、三田のアウトレットにいったときに、以下のようにtweetした。

ラバーのような白い素材にヒマワリの蛍光のプリントのワンピース、ただ花びらがオレンジなのだ。


LOEWEの革は美しい。しっとりとしたマットな光沢。いくつかを試してみたが着るよりも見て触っ

バス停で遠くから見た女性の衣装だ。きっとラバーではないのだと思う。プリントがひまわりというのもあやあしい。ただ、一日中、素材に触ったり見たりしていたそんな風に自分の頭の中で組み上げた。

段組みがおかしくなっているので新しい投稿にする。というかここで中断する。

2014年6月26日木曜日

夢27

林君の夢を見た。脈絡がなく、記憶も曖昧なのだが、彼が誰かの家にいて、私は自転車で旅行中で、その家で待っている。パーティがあるとかで。夢の最後の方になるとたくさんの人が部屋に入ってくる。その中には、外国人の二人組がいる。今思えば、前の一人はウルバリンの俳優にも似ている。でもその表情は線画のようで、日本人といってもおかしくない。髪型はおにぎりのようだ。散切り頭とでもいうのだろうか。外国人、ロシア人であるはずだ。旧友なのだが、友達というほど親しくはなかったが、好印象を持っていた同僚という感じだろう。後ろの人はわからない。

昨日の朝、秋元先生の授業でティファニーで朝食をの「ユニオシ」というキャラクターの話がでて、それを日本人が演じているという話を聞いたからか。

ソニーの寮にいるとき、ドイツ人が研修に来ていた。ドイツ人というのは屈強というイメージをもっていたがそいつはなよなよとした感じだった。広いホールで立ち話をしながら、ドイツでは、Mercedes > BMW > Audi > VW という明確なランクがある、という話を聞き、今でもそれを信じている。

それからどのようにつながるのかは定かではないが、スーパーマーケットの遠くに浮かぶ川沿いの道を自転車で走っている。橋がある。向きは左向きだ。自分が自分の視界の中を左向きに走っている。初めてきた町で新鮮な気持ちである。

2014年6月25日水曜日

メタファー メモ3

文脈/状況 設定のない、グローバルな設定の意味論にはメタファーは無理。


設定
ーーーー
状況

の非対称性


状況を裏切り、設定を持ち込む


連想的
ーーーーー    (オオカミの例)
物理的


知覚
ーーーー    (これでもいける?)
概念 


ひとつのものに違うものを持ち込み、それを共有できる状況であれば常に可能

連想、異なる視点、設定=潜在的な解釈、作られた身体的設定 deep & shared meaning あるある。



理由を述べること

理由を挙げること。謝罪の際に、理由を挙げるのは日本人的には(私としては)やや違和感がある。

一方、お願いする際(例えば、欠席するとか、仕事を代わってもらうとか)には、理由を述べることは、必須に思う。それは、そのお願いが大きければ、説明の詳細さも従って深くなるように思う。

これは個人の感覚であって、人によって差はあろうが。


2014年6月24日火曜日

夢26

 数日前、夢を見た。母が僕に洗濯物を押し付けている。その中には、よく見るとよれよれになった靴下や土のようになったものまである。汚物がついているようなものまである。母やどうもきちんと整理するように言っているらしいが、それらは部屋中に散らばっており、それをその状態で押し付けられることで混乱が助長されているように思える。というか、なんやねん、これ、という感じ。もう押し売りはやめて、という感じ。ともかく、一人になって整理したいから、一からやり直すから、という感じ。そういえばそういう気持ちになることは多くあったのだろうと思う。
 うちの実家の地域には、北を背にして神社があった。小さな神社だったが、長い階段を上った先にあってそこから見える景色はよかった。ある夏の午後、僕は息子とその階段を登って行った。ハンミョウがいた。それは魔法的なもので、なぜかというと、僕はそこで斑猫を一度だけしか見たことがないからだ。小学4年生か5年生の頃。夏休みの宿題に倦んで重い気持ちでベージュの砂地の境内で石けりをしていたとき。斑猫を始めてみた。ホログラムのような赤と緑。アブのような地を這うように飛び急に着地する独特の飛翔。近づけば離れて着地し、また近づけば離れて着地する別名「ミチオシエ」。その時一度見た切りの美しい甲虫が、アメリカから来た幼少の息子と神社にいったときには群生のように飛び交っていた....
 雲が書き曇り、雨が降り出した。父が二人のために傘を持ってきてくれた。その父は、階段の下に小さく小さなヒト型として映像の中に映っている。その映像を息子も覚えている。

水棲

急にザラザラした質感が飛び込んできた。ハレーションを起こしている。それ以外は青いモノクロームの世界だ。水底にはぼんやりとした網目状の濃淡がゆらゆらと揺れる。気泡の音とシャワーのざわめきが交互に聞こえる。やや上を向くと下から見た水面と日常の世界が交互する。水の中の世界が僕は好きだ。

2014年6月20日金曜日

2014年6月18日水曜日

言い訳

野口先生の授業から。

日本語と英語の謝罪に関する大きな文化差は、「言い訳」存在にある。英語の場合、explanation は必要だし、罪が大きければ大きいほど、説明は必要となる。
日本語の場合には、説明は「言い訳」と考えられ、むしろ潔くないとされる。個人的感覚からもそうだな、説明があると、その行為は悪くなかったと主張されているように感じる。

explicit expression of apology 謝罪表現
reason 理由
Acknowledgement of responsibility 自分の責任を認める
repair 埋め合わせの言葉
promise of forbearance もうしない、という宣言
asking for forgiveness 許しを請う




メディア

砂嵐が流れている。ホワイトノイズが切れ目なく続いている。

アドバルーン

アドバルーンの下
催事場のヒーロー
光化学スモッグ
手を引かれた野球帽
地球で一番 幸せだと思った
あの日の僕に君を見せたい
R.I.P                       BUMP OF CHICKEN

J-POPのメタファーをやっと時のデータをわけあって見直している。アドバルーンという言葉。時代を含んでいる。松本大洋の漫画みたいだ。光と空。





2014年6月9日月曜日

埋め込みを中心に。

こういう仮説はどうかな。

1.一般的会話はフレームレベル、基本カテゴリーレベルでなされる。

2.専門的会話はフレームおよびフレームに入り込んだ(埋め込まれた:embedded)レベルでなされる。

3.専門的会話とは、趣味、スポーツ、芸術、職業、集団生活など、文脈、語彙、人工物を共有したグループ内での会話である。

4.理解語彙と使用語彙の間には10:1の(または大きな)差がある。

5.一般的会話はフレームレベルの語彙を使用し、埋め込みレベルのイメージを使用する。


そうすると

6.1,2から埋め込みは使用頻度に反比例する。

7.1,2,4から一般にはフレームレベルの語が使用語彙、埋め込み語が理解語彙である。

8.1,5から埋め込み語はイメージに富んでいる。(通常、言葉にしない内容に対応している)


イメージ(五感に運動イメージを含む)を呼び起こす力を喚起力とすると、

9. 8から、埋め込みは喚起力に富んでいる。





夕方

ちょっと風邪気味なので、歯医者には電車でいくのがいいと思うのだけれども、明るい新緑の都市を自転車で通り抜けていく誘惑に抗しきれない気がする。

フレーム

長野まゆみは、好きな言葉をノートに集めていたという。分析的に説明するよりも、「入り込んだ」言葉はひとことですべてを説明してしまう。そんな「入り込んだ」言葉がたくさん並べられると、言葉のアクロバットのようにイメージが縦横に跳躍する。

風景

お気に入りの貸しビデオを自転車で通り過ぎた右手に、ポツンと市街地の中に水田がある。薄暗い6月の空を映した苗代はクリームが渦巻くアメリカンコーヒーのようで、その上に白粉を浮かべたような細かな水草に、抹茶のように覆われている。

2014年6月8日日曜日

google マップで

高校生のときのホストファミリーの家にいってみた。303はあるようなのだが、305が見つからないのだ。家を壊したのだろうか。それにしても青い空!

https://www.google.com/maps/@40.966422,-91.551636,3a,75y,-16.95h,88.19t/data=!3m4!1e1!3m2!1slrNDVTznAtE5qrVgoMvXIg!2e0?hl=ja

2014年6月6日金曜日

『夏緑陰』 長野まゆみ (『鳩の栖(すみか)』の中の短篇)

藤棚のある茶店で母が用事をしてるのを待っている。年に一度ほどだ。決まって林檎水を飲む。小一時間ほどして母が戻るのを待っている。林檎水には透明なものと乳白色のものがあり、いつも悩んだすえに乳白色のものを選ぶ。

切り取られた断片。映像の欠片。サリンジャーの『コネチカットのひょこひょこおじさん』を想い出す。いやそれではなかった、野球のチームのコーチに来ている青年が恋人と別れる話だ。

ゴフマンを読んでいる。チェッカーをするときに例えば、"a bad move" といっても、手の動かし方が下手だった場合と、チェッカーの作戦として悪かった場合とニ種類が考えられる。

2014年6月4日水曜日

6/4

 すでに多分一度や二度は書いたのだろう。僕が小学校に入る頃、四日市に引っ越してきて、父は僕を釣りに連れて行ってくれた。それは本当に近くの川で、歩いて3分くらいのところだった。釣りなどをしている人はいなかったから、新しい我々はよっぽど奇異に見えたかもしれない。父は、高校くらいの時に息子が戦死して、夫もなくなったその家のおばあちゃんのところに養子に入っているはずなので、すでに数年はそこで暮らしたことがあるのかもしれない。それとも、東洋紡に勤めている間、20歳から結婚するまで28歳くらいまではそこに住んでいたのか。いや、多分社宅に住んでいたのだと思う。だからあまりそこには住んでいなかったのだと思うのだが、大阪に6年、希望退職で四日に戻ってきて、凱旋のような気分でのびのびしていたのではないか。
 その川は僕が中学校に入った夏、集中豪雨で氾濫してうちは床上浸水してしまうのだが、当時はまだきれいな川だった。木でできて土を盛った橋の上から釣竿を落とす。「はよ」と呼んでいた細い体の魚が面白いように釣れる。エサはない。毛バリという蚊に似た疑似餌だけで何度も何度も釣れるのだ。バケツに一杯になった。僕も釣らせてもらった。3時くらいから始めたのだろうか、陽が傾いて空がピンク色の染まり美しかった。多分バケツにも映っていたのかもしれないが、思い出せないことは書けないのだ。当時、引っ越してきて友達がいるわけでもなく、きっとつまらない思いをしていたはずなので、その出来事はその頃のとても楽しい思い出として記憶に残っている。父と釣りをしたのはそれが最初で最後だ。近所に住む遠い親戚から父は冷やかされたりしたのかもしれない。釣ってきた「はよ」を井戸にいれておいたら二日とたたないうちに死んでしまったからかもしれない。

 大学生で留学に行く前、家族で大王崎に行った。その時には泊まらなかったのだと思う。浜に、虹色のチューブのようなものがたくさん打ち上げられていた。多分、クラゲだったのだと思う。鮮やかで美しかった。

 父を思うとき私は常に憐れみを持って思い出す。それは私の思考の癖だと思う。小学校1年生になって、キャベツ畑にモンシロチョウの卵を取りに行く。モンシロチョウの幼虫はキャベツしか食べない。科学の本に書いてあったのは、幼虫から育ててはいけない、ということだ。幼虫は小さなハチの卵を産み付けられていることがあるが、卵から育てればそうはならないからだ。小さな五角形の模様のついたラグビー型の卵は

2014年6月3日火曜日

夢25

小さなテレビがある。土のにおいのする汚い家。土間。冷蔵庫。土に直接置かれている。僕は、その家に泊めてもらっている。テレビでは「小さな恋のメロディ」がかかっている。
 場面が変わる。体育館のような場所。薄暗い。僕は女の子の付き添いのようにして仲間にいれてもらっている。バレエをしている。自分の番になる。音楽がかけられる。自分ではすべて完璧にできると思っていたのにやってみるとできない。少しもできない。みんなが両手を上に丸くあげてやるべきことを示してくれる。小学生や中学生の子らだ。両手を上に上げ回ろうとするが2回転して倒れてしまう。そこは回るところではなかったのか。両手を上げる今度は一回転をしてみるが、今度は倒れないが、だいたい、回転は入っていたのか。「先生」は黒いひげの人で外国人だが、見放したような感じだ。僕がここにいられるのはその女の子のおかげで、その女の子はそこではみんなに囲まれて好かれている。僕は自分がすごくできると思っていたのに少しもできないことで皆の僕に対する視線が変わり(あるいは自分の見るみんなの見方が変わり)、その社会で落ちこぼれた立場になってしまう。
 泊めてもらっている家に戻ってくる。テレビや音楽でメロディが流れているのは、ホーンさん(阪大のときの同期、現ケンブリッジ?(調べたらオックスフォードだった)がメロディが好きだったからか、と思う。ここは、どこだっけ。カリフォルニア、北じゃなかった。ロサンゼルスの近く、か。ダニービル(Dannieville)というところだったはず(調べるとDanvilleという地名なら北カリフォルニアにある)。

確かに、夢には圧縮、投射、分裂などなどがあるなぁ、と思わせる。分析はさておき。

2014年6月2日月曜日

6/2

歯医者に行く用事があった。桜井というところで、大阪大学の北である。運動と再来週に迫った阪大での関西言語学会に行く予行として、自転車でいくことにした。
 桜井には思い出がある。阪大の大学院に行っていたとき、同期だった人の一人がそこに住んでおり、ご主人も交えて何人かの院生でお邪魔したことがある。
 初回に歯科医に電話をかけたのは朝7時半だった。1週間前のことだ。多分でるわけはないと思ったがあとで予約をするために番号を携帯に残しておこうと思ったのだが、医師当人がでてやや驚いた。その医師は的確な説明をしてくれた。「桜井には出口が一つしかありません。出口をでて、地下道を通り反対側に出ます。石橋に戻る方向に歩きます。最初の踏切は人しか通れない踏切です。二つ目の踏切は自動車も通れる踏切です。その二つ目の踏切を左に曲がり、100メートルほどいった右手にあるのが当院です」
 院生の友達の家は、その説明でいえば、一つ目の踏切と二つ目の踏切の間ぐらいのところを線路から離れる方向に曲がったところにあったはずだ。日曜日の天気のいい日だった。まだ、修士論文の決まる前、2年目の初夏、ゴールデンウィークくらいではないだろうか。
 さて、先週は、雨の降りそうな中、電車でいった。石橋駅で箕面線に乗り換えて一駅。今日は、自転車だ。実は、その田舎にあるペパーミントカラーで色塗られた豪邸風の写真をタウン誌で見て、選らんだ歯科まで自転車で。
 走り出してみると以外にわかりにくい。車なら新御堂を北へ上がり、千里中央で中国道の側道に西に向かって阪大、柴原へ出る。これは直線ではないので、その2点を結ぶ緑地公園を突き抜ける最短距離の走路があるはずだ。こんなときスマホは助かる。と思うが、自転車だと止まらないと見れないのが難点だ。
 大学から一つ目の噴水を登り(千里山には二つの噴水がある)竹林の坂道を下って新御堂にでる。

『鬼六人生三昧』 団鬼六

特殊な分野で有名な著者の、それとはまったく異なる将棋に関するエッセイ。最後の方になると大山康晴が死んだ話、升田幸三が死んだ話、と死んだ話ばかりになる。まあ、それにしても、豪気な人だ。

『東京島』 桐野夏生 (ネタバレ注意)

 30人なにがしかの男ばかりの無人島に唯一流れ着いた女。そんなえぐい設定が気にはなっていたがそれゆえに読めなかった作品。久しぶりの研究以外の読書としてはサクサク読めてよかった。興味を引いたのは子供の時に死んだ姉?を内包した多重人格者のくだり。人間は自分で自分の能力を閉じ込め、ある特定のスタイルを演じるように自ら強いる場合があるという私説に合致する。
 
 設定の奇抜さ(論文でいえばOriginalityに当たるだろうか)は十分で(もちろん、もしかしたら先行例があるのかもしれないが)オチ(こちらは主張か)もいいと思うのだが、論旨の説得性にやや疑問符がついた。最後の方にフィリピンからの漂流者がやってくるのだがこれが女性ばかりなのだ。それは作者の若い女に対する劣等感をあらわしていると思うのだが設定を破壊するつけたしに思われる。そこで以下のような制約を思いついた。

同型性の制約
物語の設定と結末の参与者は同型性を保っていないければならない

例えば、無人島の設定の中にはフレームとしてその情報やそこに隠された情報がある。その範囲内でなければいけない、ということだ(あれ、やっぱり十分な説明になっていない。。。)。



『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治

 宮沢賢治について、月並みなことしか書けへんなあ。そしたら、最初からやらへんかったらええのに。まあ、熊の描写やら、猫の描写やらその表情やら、上手に書かはるなあ。あとほれ、木いの名前、本とよう知ってはる。あとは方言がええなあ。方言ていうのはそら、臨場感みたいなんがでるからなあ。なんかずるいわ。そやけど東北の方の方言聞くのはええなあ。方言女子いうのが流行るのもわかる気がするわ。
 アリルダロダは、って初めて見ても、色が違うがや。ジョバンニは茶色い名前、カンパルネラは黄色い名前、アリルダロダは赤か紫やから、色が違うがや。も一回いこか。ちょっとまず名前だけ並べてみよ。
 ムリャベッタ、カリトマーニ、カリマトーニ、エギラゴ、トマトマーニ、プリマサッチョ、エギギスカ、名前ひとつ作るの難しいわ。そんなら太郎平で。
 
 太郎平はさかま木の狭間からじっと見ていました。その日は6月のホロ路木の日で、母から頼まれたとちの実をまだ半分も取れていないのにです。

あーめんどくさ。

トム・ブレィディ、ノーマン・ライアン、ビル・ビラチェック

トム・ブレィディとは、稀代のQBだが、今朝のNFL.comのニュースには彼と、ノーマン・ライアンという稀代の名投手を比較する記事が掲載されている。ノーマン・ライアンは46才まで現役で、そのコーチで現ブレィディのパーソナル・コーチであるトム・ハウスは、ブレイディにはライアンと似たところがあり、40代半ばまでプレーできる可能性が高いという。
 もちろん、利害は絡んでいるからな。ブレイディはそう言ってくれるからこそトム・ハウスを(2012年に)コーチに選んだわけだし、トム・ハウスは選手生命を長くする専門家なわけだから中立的な意見とは必ずしも言えないことに注意。
 今回、NEペイトリオッツは、ドラフト2位指名でイケメンQB、ガロポロを指名したが、これをブレィディは「チャレンジ」と感じているという。ここでは「敵対的」に近い意味か。ブレィディの後継を契約が切れる2~3年後に合わせてとったということで40になった時点でハイ、サヨナラとなることを懸念しているわけだと思う。
 しかし、まあ、これだけ活躍してるんだから、40になったらすっきり引退したらいいと思うんだがな。確かスーパーボウルリングも3つ取っているはず。一方、悪役顔のビル・ビラチェックというヘッドコーチ(監督)の目標は、「ブレイディの後、スーパーボウルリングを取る」ことだという。これは思いもよらなかったが、確かにその気持ちはわからないではない。自分の契約は安泰。これまでブレィディの活躍と二人三脚でやってきたが、本人の思いとしてはブレイディの名QBとしての名声のいくぶん陰に隠れた口惜しさがあるのだろう。ブレイディ抜きでスーパー制覇が達成できて初めて、陰口を叩かれることなく、名監督という名声に浸れることになる。
 ということは、3年やったのちにブレィディはフリーエジェントでは。その行く先は....... NEのライバルで... QBがトラブル続きで..... なりふり構わないチーム.......

ジェッツ!?w

2014年6月1日日曜日

いちご

苺を捨てた。このような陥穽(かんせい)はどこにもある。一つは3月に息子と一緒にいったときに梅の花の咲く緑地公園の苗木市で、二株はいった波型の縁を持つ白いプラスチックの鉢のものだ。もうひとつは、(むしろ妻の)お気に入りの小さな花屋で母の日のプレゼント用にカーネーションを購入したとき一緒に自分用に購入したものだ。枯れかかってコバエのような小さな虫が飛び回るようになっている。もう苺の時期は過ぎ、これからこの虫たちと戦って来年を待つ効率を考えれば捨てる方がましだ。人生の黒点。何気ない凶兆。根絶やしにする。

アメフト 総称文 ためいき ダブルチーム

昨日の文書は、2650字であった。まあ、これから一日、4000字、原稿用紙10枚書くペースで、年3000枚ペースを確立するということでいいか。まあ、このあたりのバックステージトークは、後々消していくことにする。
 最近、アメフトのことを考えていることが多い。応援しているチームがオークランド・レイダーズというチームで、そのチームにヒューストン・テキサンズというチームからクォーター・バックが来る。まあ、ここまで話した時点で、NFLに興味も知識もない人がほとんどだろうから、???という内容になろう。
 また話しが一つ戻るが、最近、我々の語彙のオーバーラップ少なさに驚く。学生に「ほかの人がしらなそうな、バイトやスポーツ、趣味(音楽、ダンス等々)の言葉を2つ以上書いてきてください」という課題を出す。そうするともういい大人の私でも全然しらない用語が多くある。つまり、これを反映すると語彙分業説といったものになろう。今、この用語を作成したが、英語では、division of labor theory of vocabularyとでもなろうか。専門家theory of vocabularyといったものがあったと思うがそれと同じだ。語彙の貯蔵は分業されている。その分野にいる人々たちがその語彙を持っている。すべての人がすべての分野にいることはかなわず、すべての語彙を持っていることももちろんない。
 さて、アメフトの話に戻るが、パソコンのスクリーン越しにも見える鮮やかな芝生と青い空のとも、発給ならぬモンシロチョウの卵型をした茶球を追う輝きの背後には複数の知識が存在する。これから書きたいのはフットボールの試合の仕組みなのだが、その前に、オークランド・レイダーズとか、ヒューストン・テキサンズ、オークランド、ヒューストンに関する知識が存在する。
 まず月並みな知識としては、NFLには現在、32チームがあることだ。これは、AFC (American Football Conference)と、NFC (National Football Conference)の二つに16チームずつに分かれる。日本の野球でいえば、セリーグとパリーグと思えばいい。フットボールを知らなくても、野球という異なるスポーツの、コンフェレンスとは違うリーグという名前の異なる国のシステムを知っていることで、理解がごくスムーズにいく例である。ただ、名前はどうあれ、このようなシステムは共有的に利用されているのだと思うので、もっと高次のレベルで汎用フレームが存在するのだと思う。いいなこの汎用という語、genericの訳として。東大の坂原先生、京大の田窪先生のグループが前に書いた「総称」という用語を使用してる。総称は、たとえば、(1)の文を英語でgenericと呼び、日本語で総称文ということに由来している。

(1)A wolf is nocturnus. (オオカミは夜行性だ)

主語が複数形でも単数形でも、オオカミ一般について述べている。こういった文章を総称文という。一方、メタファーの文脈では、Generic is Specific メタファー(スキーマ)というものが提唱されており、ここでは<一般は特殊>言い習わされている。新たな用語を導入すると担って申し訳ないが、汎用は悪くないと思う。
 さて、AFCNFCというふたつのカンフェレンスがあり(情報を見ると「ンフェレンス」となっていた)コンフェレンスにすでに既存の色があるので音訳して「カ」としたのだろうな)それぞれのカンフェレンスは東西南北の4つの地区(division)からなる。4x4=16である。
 こういった知識のほか、それぞれのチームの特徴がある。これなんかは、どこにも規定がないので、個人の印象やその集合としての社会的印象となろうか。オークランドに関していえば、黒人のチームで、ガラが悪く、むかしから粗暴で、ブラックホールというエンドゾーン付近は敵チームや敵チームのファンにとってはまさに地獄というイメージだ。ヒューストン・テキサンズはしらないが(新興チームなので)、ペイトリオッツだったらイケメンQB率いるエリート集団(15年前までは弱小チームだったが)、ダラスカウボーイズだったらAmerica’s teamと呼ばれる華やかなチームなどなどがある。ちなみに、サンフランシスコとオークランドは隣りあわせの都市であるが、オークランド・レイダーズは黒人の悪ガキのチーム、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)
は白人の優等生のチームだ(野球になると、サンフランシスコ・ジャイアンツが黒人のチーム、オークランドA’s(エーズ)が白人のチームと逆転するところが面白いが。
 サンフランシスコには市内に野球場があり、部屋がいくつもあるマンションに当時すんでいた翻訳会社の社長のヨーコさんのところに部屋を借りていたことがあったが、市内からデイリーシティーにいく高速にいく途中にその球場の横を通ったことが何度かある。青空は薄い水色で、雲がいくつもぽっかりと浮かんでいる。夏の終わりのころだろう。
 さて、こういった知識がすでにその分野を知っている人とそうでない人の間で違い、まあ、かといってそれを知っていないからといってどうというものでもなく、それぞれの人はそれぞれ自分の足を埋めて体をつないでいる人々と共有した分野を持ち、それは仕事だったり、趣味だったりすると思うのだが、あるひとつの分野に対する知識はひとそれぞれで、知識ゼロからちょっとだけ知っているというところまで連続的である。

 昨日の、会話分析の睦まじい話が頭に蘇る。アメリカに留学していて、今は遠い州にいる男女の電話の会話だ。男が車を買ったよといい、女が、え、と一瞬絶句する。そして、名前を聞きたがる。でてきた情報は女が知っている車名ではなかったが名前と値段を聞いて、へえぇ、と本当に深く感嘆する。その情動。「XX(自分の州)まで来てよ」、といい、相手の言葉を待たずに「遠いか」と自分で否定する。明らかにこの両者の関係で女は男に対して弱い立場にある。権力の話に戻ってくるわけだ。会話という一つの閉鎖環境を取り巻く権力の磁場。権力関係はどこにでもある。平等な立場、不平等な立場、その二つしかないか。ただ、その在り方には感情の数だけさまざまなものがあろう。
 
 さて、アメフトの話。11人で行うところはサッカー似ていて、楕円形のボールを使用するところは、ラグビーに似ているが、通常の球技と決定的に違うところがある。それは、攻撃と守備が明確に分かれていることだ。攻撃の際には攻撃用の11人が、守備の際には守備用に11人が登場する。そして、攻守がはっきりと分かれ、その間で時計は止まる。その意味では、野球に近い。さて、今日は、特にラインの話だ。ラインとは攻撃と守備がぶつかる最前線であり、以下の図式に従う。


                  DE    DT     DT     DE
     ディフェンスライン  ●     ●     ●     ●
    オフェンスライン ○    ○     ○     ○     ○
               LT         LG           C           RG          RT

                                                           ○
                           QB


DE= Defensive End
DT= Defensive Takle

LT= Left Takle
LG= Left Guard
C= Center
RG= Right Guard
RT= Right Takle

QB Quarterback


QBはボールを投げる訳。攻撃の司令塔である。ボールはセンターからQBに渡される。LTからRTまでの5人がオフェンス・ライン(OL)と呼ばれる。これは、QBを守る城壁と考えることができる。両端のタックル(LTとRT)は城壁を守る要であり、重要な役割である。特にQBは右利きが多く、そのブランドサイドとなる左側を守るLTにはラインで一番屈強な選手が充てられることなる。この時点で、私たちは例えば、以下のようなメタファーを使用することができよう。

(2) 奴は我がチームの QBだ / LTだ

 さて、オフェンスラインはQBを守る、攻撃の中の防御的役割を果たすため、ディフェンスラインはディフェンスといいつつもむしろ攻撃的な役割を帯びることなる。その中でも特にDEは相手の防御壁を外側から回り込んでQBを捉える力持ちでかつ俊足の運動能力の高い選手が起用されることが多い。DTはそれよりはむしろ巨漢で、相手のランを止めるための主要なブロックの役目をすることが多いが、それもチームによりけりで、真ん中から相手のラインを壊すことができればそれはそれで大変な貢献である。
 さて、たとえば特定のLTが非常に強い場合、ディフェンスは2名をそのLTに割り当てて突き崩す算段をすることがある。これをダブルチームという。これをメタファーで使うとどうなるか。ディベートや企業競争などで、特定の優れた能力を持つ人をマークするために2名なりの要員を費やす。

(3) We need to double-team Mr. Johnson.

といった発話は可能であろう。この際、話者と聞き手は、まず、double-teamのアメフトでの意味を正しく理解していなければならない。
3664字