2011年10月30日日曜日

関大 3-17 関学

昨日から、どうして得点できなかったか、考えていた。相手の得点は、ひとつのインターセプトと、オンサイド・キックの失敗から。オンサイド・キックはひどい作戦ミスだと考えていた。

今日、RTV(立命館テレビ)を見て、濱田さんの解説を聞いて、どうも関学のディフェンスが鉄壁で手も足もでなかったように思われてきた。前半10点は取られすぎだったのだ。すでに1TDを取られた時点で厳しかったので、後半早々オンサイドキックという奇策にでたわけだ。相手のオフェンスは必ずしもいいわけではなかった。こちらのDはがんばった。それ以上に相手のDは強力だったということのようだ。
Dが強いチームは強い。関学が全国制覇するかもしれない。

追加:関大の3Qのフェイクパント成功もすごかったが、その3プレー後くらいのトリックプレーも面白かった。濱田さんの解説によれば、フリーフリッカーというらしい。解説によればQB→RB→QB パス らしいが、ここでは、QB→RB1→RB2→パス でQBがレシーバーという非常に手の込んだプレーであった。

2011年10月24日月曜日

タバコはやめるのではなく治すのだ

イライラのタネを噛み潰せ


というのがキャッチコピーだが、イライラのタネというの用語が、古くから存在するわけではなく、

悩みの種、頭痛の種

などからの類推だと思われる。コピーにこういったズラし、類推(山梨 2010参照)が使えるというのは1つのポイントである。

それ以外に検討課題はいくつかある。

1.Xの種というのがXになんらかの否定的要素を取り込むというのはすでに指摘があるが、(大石 2006?, 認知言語学会論文集)それが典型的表現から、アドホックな(臨時的な、その場限りの)ズラしで成立するのか、それとも、Xというカテゴリーを形成するのか。

これに関連して、すでに、「使用と慣用はツウツウである」という見解を持っている。(Recanati, 2004:35, 鍋島 2011:33)つまり、

慣用化していない使用でも、(動機づけのあるものは)2,3回の(公的な)使用で(少なくとも友達などの小さな社会の中で)慣用化する

と考えている。()書きのあるところはそれぞれに注釈が必要であろうが、ここでは飛ばす。

使用→慣用の連続性を前提に、1を書き直す。

Xの否定的要素の実体はどのようなものか。

1.

2011年10月20日木曜日

10月19日

テニス。普通の人の動体視力はどれくらいなのだろうか。ボールしか見えなくなって、ボールが固定して見え、ボールの背景が流れて見えるようになると楽しい。

ずっと、身体動作の機構が文脈的であることを考えているのだが、つまり、ボールを打つときの腰の動き、ヒットする位置の早さ(身体の前か横か後ろ気味か)&腕の振り、手首の返しがあったとき、腰の動きの文脈の中で腕の振りの価値(Value/値)が決まり、その腕の振りの文脈の中で手首の返しの価値が決まる、という話だ。

ところが、最近、それが相補的?というか協業的?であることについて考え始めている。つまり、腰の動きが早く、強ければ左にいく(引っ張る感じになる)。それだけでなく、ヒットする位置が早ければ左にいく、腕の振りが強ければ左に行く、手首の返しが強ければ左に行く、という風に、左に打つためには4つ~6つくらいのパラメーターがある。で、どこかでそれをやればいい、という感じ。もう少し詳細に書く。

A腰の動き
Bヒットする位置
C腕の振りの強さ
D手首の返し

ABCDはあって、確かに時間的順番とか、動きの大きさと影響度というのはあるのだけど、結果として行きたいところに打てればいいわけだから、それぞれを詳細に考える必要はあまりなさそうだ、ということ。
重要なのは、ABCDでそれぞれ、どの程度の力がどの程度の左右度に対応するか、という力と度合いの関係、および
A-B-C-Dのそれぞれの力と度合いの関係のマッピングだ。

だから、例えば、Bで左に行き過ぎると思ったら、CやDで補正すればいいのだけど、その補正がどの程度の力の入れ方に換算されるべきかがわかっていればいい。

荒くれ者のアメフトチーム、Oakland RaidersのQBが鎖骨の骨折で代わりのQBのトレード話が昨日から気になっていたが、CinciでくすぶってたQB Carson Palmerを獲得することになったことを知る。31才だが、ハイズマン賞を取っており、ドラフト1位だ。RaidersにはGannonも含めて、本格派QBはこの十数年いなかった気がする。楽しみで、今年のOakはスーパーボールまで行くのではないかと考えている。今週末はホームでKansas Cityとの対戦で、どうも彼が試運転ででるらしい。

あと、会議、授業。ダイグナンを詳読。コーパスとメタファーについて検討中。

2011年10月16日日曜日

風力「なだけに」

取材ノート11:西日本一の風力発電 事業へ逆風、普及停滞 /鹿児島
毎日新聞 10月16日(日)14時24分配信
 ◇県景観ガイドラインが“壁”に
 東京電力福島第1原発事故を受け、期待が高まる再生可能エネルギー。中でも潜在能力が高いとされる風力発電で、鹿児島は青森、北海道に次ぐ導入量を誇る西日本一の「風力県」だ。ところが、県の景観ガイドラインが昨年度から施行され、普及スピードにブレーキがかかった。再生可能エネルギー固定価格買い取り法による期待とは裏腹に、風力事業への逆風は強い。【村尾哲】
 南さつま市南部、標高約400メートルの山頂部にある「上野・樋川原風力発電所」。高さ119メートル、出力2000キロワットの風車が6基、吹き抜ける秋風を受け巨大な羽根を回す。同発電所を経営する「科戸の風」の中山隼夫社長(73)は「計画通りには発電できている」と語る。
 同市出身の中山さんは東京電力で風力や太陽光を研究。定年退職後、起業し09年秋から稼働を始めた。初年度は約3000万キロワット時を発電。電力の買い取りは1キロワット時あたり約10円で九州電力と契約している。羽根は空気中に水分がある方がよく回転する。中山さんは「この地域は霧が多く風力に適している」と解説する。
 10年3月現在、県内に風車は107基あり総出力は15万4000キロワットで、いずれも全国第3位だ。風力については環境省が今春「極めて大きなポテンシャル」があるとの報告書をまとめ、陸上風力の導入可能性を全国で2億8000万キロワットと分析。県内には849万キロワットの潜在能力があると試算している。
 一方、風力を取り巻く環境は厳しさを増す。
 「ガイドラインの基準に照らすとだめですね」。南九州市内に風車7基を計画していた関電エネルギー開発(大阪市)の担当者は今春、約1年がかりの審査結果を県から告げられた。
 ガイドラインとは、風力発電施設に関する県の景観形成ガイドライン。九州全体の4割の風力が集中し、観光資源でもある自然景観に悪影響が及ぶとして昨年度から施行された。景観に特化したガイドラインは全国的にも例がない。「山の稜線(りょうせん)を乱さない」よう、周辺施設から見える風車が垂直視角1度未満であることを原則と定めており、現在主流の高さ100~120メートルの風車に適用すると6~7キロの距離が必要とされる。
 九州電力は、ガイドラインへの適合を電力購入契約の条件にしているため、同社の計画は事実上頓挫。5年前から数千万円かけ準備し、市の回答は「問題なし」だっただけに困惑を隠せない。
 建設費の3分の1を助成する国の制度が打ち切られ、騒音や鳥類の衝突事故なども課題に挙がる風力発電。県内では「景観」も大きなハードルになる。事業者側からは「県全域で国立公園並みの規制。かなり厳しい」と嘆き節も聞こえる。県によると、これまで17件が審査され適合したのは6件にとどまっている。
 周辺環境への配慮を求める流れは年々強まっている。国は近く環境影響評価法の対象に風力発電施設を追加し、総出力1万キロワット以上は環境アセスが法的義務になる見通し。コスト増は必至だ。再生可能エネルギーによる発電電力の買い取りを電力大手に義務付ける「再生可能エネルギー固定価格買い取り法」の成立は、風力を含む再生エネルギー普及の追い風になると期待がかかるが、「科戸の風」の中山さんは「コストと各種制約が増え続け、つくる場所ももう少ない。買い取り価格を高く設定しないと普及は期待できない」と悲観的だ。今後、メンテナンス費用が発生すれば赤字の可能性が高いといい、実効性ある普及政策を望んでいる。

10月16日朝刊

関西大 37-6  同志社大

立命館TV

ミスも多かったように思うがよくできた。徐々に調子を上げながら、得点差もつけながら、これで、4連勝。次節、10/29 関西学院大学戦で勝てるかどうかにすべてを賭ける。

ちなみに、「関学戦」、と自チームの名前が消えてしまうのは主観性現象である(→認知言語学者の人たちへ)

缶コーヒーが知らなかった味わいへ

《状態は移動》メタファー

2011年10月11日火曜日

言葉の自由度

こんなのはどうかな。

Level 4  好きなものを好きに名づけて呼べる (単語の名づけの自由。もちろん、これはない。個人語としてののみ可能である)
Level 3  好きな単語を好きに並べることができる(統語の自由。英語にはない。日本語にはある程度ある)

Level 2 好きな単語を決まった少数のルールに従って並べることができる (ルール依存の自由。これは通常、存在すると考えられている)

Level 1 決まった単語を決まった多数のテンプレートに従って並べることができる (テンプレートと制約依存の自由。実はこのレベルの自由度しかない。)

「自由」は「創造性」と置き換えてもいい。Level2がChomskyの言う言語の創造性、Level1が認知言語学の構文文法だ。

2011年10月9日日曜日

Al Davis dead

Jim Plunkett on Al Davis.
"But he never lost his love and his fire for the game. Just sitting in the box with him, even though he couldn't speak loudly, this year, he'd get his point across, telling everyone that they shouldn't have done this or they should've done that. He wasn't yelling anymore. But he was still into it."



2011年10月7日金曜日

今日の造語

トランスフォーマー神社

一旦、軍事的侵略があると、各地の神社がその形を変え、ロボットにトランスフォームして、敵と戦う。うちの近くならイザナギ神社が立ち上が鳥居を剣に変え、御輿を甲にして、ガシーン、ガシーンと歩き始めるのである。


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翌日会話の中から思いついた言葉は

十二単(ひとえ)ストリッパー

である。椎名林檎化しつつある私。

2011年10月5日水曜日

記憶とメタ記憶

三島由紀夫の作品で、カナダかどこかにいる既婚女性が、街の朝食屋かどこかで毎日会う、近所の外国人に口説かれるという小説のことを覚えているのだが、そして、それを読んでいた漠然とした雰囲気(格子のあるベッドで割と広い部屋で)を覚えているのだが、それがいつどこで、その小説がなんという名前だったか、覚えていない。これは記憶はあるが記憶のラベルがない例。



一方で、何かのことを想起していたのは覚えているのだが、それが何だったか思い出せないことは皆さんにもよくあるのではないだろうか。これは記憶のラベルはあるが、記憶はない例。

このように、記憶は少なくとも、記憶部分と記憶に対する記憶部分で成り立っていると考えることがいえよう。(昔、tying the knot:結び目を作る)という論文をMetaphor and Symbolic Activitiesか何かで読んだことがある。結び目を作ることによって、何かを思い出すべきことがあるということを覚えておくという習慣とメタ記憶についてだった)

ということで記憶とメタ記憶。

そして、関連性理論の情報意図と伝達意図は、伝えることと、伝えることを伝えるという意味で、伝達とメタ伝達といえよう。

記憶とメタ記憶、伝達とメタ伝達を相似的に捉えることで、見えてくるものがあるかもしれない。

2011年10月4日火曜日

世界宇宙週間

1957年に世界初の人工衛星・スプートニク1号が打ち上げられた10月4日から、1967年に宇宙条約が発効した10月10日までの1週間

とのこと。期せずして早朝、少年期を描いたセンチメンタルなスウェーデン映画My life as a dogライカ犬のことを考えていた。車で構内を走っているときに鹿がヘッドライトに照らされてこちらを見ているというイメージが浮かんだからだ。鹿というトピックは、数日前、名古屋城のお堀に今でも鹿がいるのだろうか、と考えていたことに遡る。

Wikiによればライカ犬が乗っていたのはスプートニク2号とのこと。

ダンスはうまく踊れない ―項の欠如と情動または共同行為と媒介物ー 

項が欠如すると視点が生まれる。これは主観性に関するいくつかの論文で書いた。

あの時、というダイクシス(直示性・場面指示性)で視点が生じるのと同じメカニズムだ。

ごめんなさい。早足で。多くの人にはわからないと思うがともかく。

ダンスはうまく踊れない、というのはその前の歌詞に「一人きりでは」とあるので当然のことだが、これを一般化してある2人以上を想定した行為、その場所、その時間、そのほかのスキーマがある際、そこに欠けている(満たされていない)項があると、情動を喚起するといえるかもしれない。情動というのは視点(個人とその内的世界の存在)を前提としているので項の欠如の話とつなげられなくもない。つなげられるかどうかは不問として、このテンプレートがひとつのモチーフとなれるかもしれない。

サンフランシスコには公園があった。コンサート会場に思える舞台の前には、空白となった白い椅子がいくつもいくつも列をなしていた。その映像は僕に、人類の滅亡後の世界を想起させた。


とかそんな感じだ。

主役のいない誕生日会。
一人で乗るシーソー。
いつもの飲み仲間に一人がいない。 とか。

2011年10月3日月曜日

見せたい顔

若い女の子やったらあれやけど30超えとったら、俺、これ拾たらなあかうんちゃうん、て思うんちゃうん?

秋の日曜日のお昼時に校庭のフェンスに沿ってのぼる坂を歩いていたらそんな女性の声が聞こえてきた。私の行く美容室の前からなのでちょっと気になって振り返えると、美容室の前に椅子を出して男女が話している。向かい側の中年の男に話しかける眉毛をくっきりと書いた妙齢の女の顔。

見事なドヤ顔。

こんなときにもドヤ顔ってするのかぁ。

このエピソードから学べること/発展させる方向性

1.引用と間主観性 (女性は男性の立場になってその思考と言語を模倣してその是非を問うている)
2.ドヤ顔の知覚的特性(眼はらんらんと輝き、顔および上半身は乗り出して、ん?と反応を問いかける笑顔、口元)
3.ドヤ顔の使用の範囲。(どんなときに人はドヤ顔をするのか)

2011年10月1日土曜日

関西大学 34-20 龍谷大学

西京極球場にやってきた。今シーズン初観戦である。アナウンスメントを聞くと相手のRBはつわものらしい。大丈夫かなぁ。

初回の攻撃で7-0 非常によい調子である。
相手の攻撃で7-7 すぐに得点を返される。しかも、かなり走られている。予断を許さない。
14-7 リターンで敵陣30ヤードくらいまで返したのが大きかった。
このあたりで関大のパーソナルファウルと相手の人数かなにかの反則がオフセットになったのがあった。ありがたい。
合経過のツイッターを見ながら書いているのだが、相手RBが負傷して一旦ベンチに戻ったらしい。前半残り1:44で龍谷大ハーフラインからの攻撃。これがひとつの山だった。時間を使い切って同点にされると厳しい。しかし、ここでインターセプトというビッグプレーが出る。

17-7 フィールドゴールに終わったが、このインターセプトは大きかった。

いい雰囲気で後半へ。


24-7 相手の初回の攻撃を止め、ランとパスで更新して左の奥へ図ったような20ヤードパス。

24-14 相手ランでごりごり押される(RB復活)ただ、10ヤードくらいずつの前進だったのでよかった。RBの威力が落ちているのと、Dががんばったんだろう。あと全般に思ったのはキックやパントがよかった。飛距離が出ていたのでつねに楽なフィールドで戦えたのも勝因のひとつだろう。

ここで1回サックがあり、厳しい展開に。しかしまたビッグプレー。相手のファンブルを関大が確保。ターンオーバーだ。

この後相手が1TD(kick失敗)こちらが最後FGで3点を加えて終了。

いい試合、いい勝ち方だった。この調子で関学、立命としのぎを削ってほしい。

下馬評

板井コーチが見つけられなかったのでちょっと不安だったが大丈夫のようだ。あの人あってのカイザースだと思う。ほんま、4-0で関学戦を見にいきたい。同志社は京大に7-0というロースコアだが勝ったのであなどれない。同志社も行きたいところだがお仕事なんですよね...

RTV (立命館TV) これはすごいな。

樹液

甘い汁を吸うために群がる奴らがいるところ。