2014年4月30日水曜日

4/29

自衛隊駐屯所には日の丸が立っていた。僕は、今日が祝日であることにうっすらと思い当たった。そこからかつての天皇記念日であったことに思い至るまでにはまた少し時間がかかった。横目に映る若い自衛官の表情は見えない。彼はどのような想いでこの門を守っているのだろうか
潮干狩りは不成功といってよかった。3年前と同じように、長い堤防の道を渡る。3年前と違うのは家族ときていることと、たくさんの人がそこに集っていたことだ。小さな息子とともに雨の吹きすさぶ浜へ出る。3年前は緑がまばゆい残暑の8月だった。暑さの代わりに雨が降り注いでいる。

できるだけ沖を目指して歩く。岸に近いところは砂利で、誰かが掘った後が遺跡のように卍に似た奇妙な模様を描いている。ここは驚くほど遠浅で、くるぶしに浸るほどの水までの浅瀬が見渡す限り続く。妻のベージュの折りたたみ傘を差した7歳が駆け足で追ってくるのを背中で確かめながら沖合の砂地を目指す。

泥色をした大きな砂地はひとつの潜水艦のようで、手前では小さな子供や祖父母もいるように見える1つの家族が四角い穴を囲んで笑いながら穴を掘っている。この雨の中ではやや奇異にも見える光景だった。一つの穴を掘る。子供が熊手を使う。祖父が笑う。家族が笑う。そこには祖母の姿はないように思えた。

混濁した泥水が流れくる液体に透明になっていく。どこからともなくマーブルのような粒が浮かび上がる。砂利によく似たとりどりの色をしてきれいな格子模様の刻印がついたアサリのようではない。つるんとして色もクリームと焦げ茶のハマグリに似ている。

浜に向かった時点からはすでに30分が経過し、身体が冷えてどうしようもない。幼い子供には過酷すぎる気がする。戦果は網に少数。家に帰って数えたら16だった。

混濁した意識にビールが流れ込む。自衛隊とも日の丸とも関係のない一日でよかった。いつまでも潮干狩りを楽しみにできるような世界だったらいいなと思う。

2014年4月11日金曜日

プリミティヴ

僕は再びサンフランシスコの長いトンネルの前にいる。立体交差に思いを這わせるとき、乳房の生えた羽の胸像のあるパリの街並みが浮かび上がる。疲れる散歩を無理に続けていたいつか。ショーウィンドウの籐の椅子を見て、どうして人間がプリミティヴなデザインに癒やされるかを考えた。例えばざっくりとした麻のセーター。それが例えばワイシャツと異なるのは行為可能性であるという結論に至った。僕は籐の椅子を作る身体運動を想像できる。それが自由を保証し、安らぎとなるのだ。