2014年2月24日月曜日

2014年2月23日

ぼそぼそとした口ぶり。床は小麦に似た有機的な黄金色で、その中に蛍光灯が白い光沢を落とす。軋み立てる重い扉の体育館はこの地域で二番目にできた小学校の年輪を示している。隣の咳が気になる。昔は校長をしていたという白髪の人物が会計の話をしている。僕は7歳の息子の稽古を見るでもなく、パソコンに向かっている。今日は息子とサッカーをした。息子とスポーツをするなんて何ヶ月ぶりだろうか。冬の寂れた公園で小さい子らに混じって二人でボールを蹴り合う。昔買った小さな玩具のゴールを息子は大事にしていて、それに蹴り込むゲームを始める。僕は左膝が相変わらず調子が悪く、左足で蹴ろうとした遠心力で膝の内側の骨が痛んだ。
 今年に入って二つの論文を仕上げた。いつかのようなグルーヴを少しずつ取り戻してきたような気がする。グルーヴとは、二十年ほど前、僕がアメリカに行く前に友達が読んでいたタイトルで覚えた単語だ。How she got her groove back (彼女がグルーヴを取り戻したわけ)とかいったタイトルだったように思う。そういえば、先週は一生懸命その論文を書き上げようとしてたように思う。思い出した、日曜日の深夜が締切です、と阿部さんに言われ、この剣道の練習を見守った後、研究室に戻り、早朝7時頃、もうすぐできあがりますから送ります、と伝えるメールを送ったのだった。
 これから、もう一度、ことば工学研究会の顛末を書きたいと思うけれども、それが終わってから今日までの印象を記述してからにしようかと思う。
 
 サンフランシスコの中華街の映像が浮かび上がる。倉庫様の赤煉瓦の壁に書かれた大きなグラフィティ。マルチンルーサーキングまたは私の知らない誰か。または私がすでに忘れてしまった映像。覚えているのは、その大きなグラフィティの向こうに青い空があり、その空が限りなく高かったことだ。
 
 その鮮度のよい鯛の尖った未来とビロードのような赤茶けた肌の間に光る青いシアンブルー。サンフランシスコの中高い空の元、暗い魚屋の氷の上に僕の心はいま大きな鯛を置いたのだがどうもそれは煉瓦と空の対比が呼び起こしたものだったらしい。

入り組んだ空中都市。長い煉瓦のトンネルの上を走る道路。入る場所でその高さが変わり、間違った道に入り込んでしまうのととてつもない坂道を登るはめになる危険な都市。入り組んだその構造はパリのムフタール通りを下がった当たりの風景と重なるのだが、そこから肌に染みいる色は違う。パリは石橋であることが一つ。その他には空のだろうか。サンフランシスコの空は青く、長いトンネルの隠微さが対照的に強調される。

 記憶が入り込んしまった。スエーデンであった友達からフェイスブックの申請をもらい、韓国の研究者にこの三月に合いにいき、来年の10月くらいにはバークレーに行きたいなぁ、と考えていたからだろうか。前にサンフランシスコの方に行ったのは2007年の7月、パリに在外研究にいっていた時だったろうか。いやその後、バークレーで国際認知言語学会(International Cognitive Linguistic Conference:ICLC)が行われるはずだった年に短期間行っているはず。昨年のICLCがカナダのUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)2013年。3年毎だからその前が2010年。これが中国、その前が2007? いや、計算が合わない。2年に1回に違いない。2013がカナダ、2011が中国、2009がバークレーであるはずだった年、2007がポーランドのクラクフ、2005年が韓国、2003年が?どこかまでは3年に1回だったのか。確か最初に行った国際認知言語学会はアムステルダム、こちらは1997年だったはずだ。どちらかという傷心旅行に近いものであった。


そうか、今日ゆったりしていて、家で料理ばかりをしていて、昨日は、千葉から帰って大学院入試の面接をしていたのであった。つまり、ことば工学からここまで、ほとんど語るべきことをしていない。

2014年2月22日


羽田に向かうモノレールの中で、黒のジャンパーコートに大き黒めがね、帽子の男がいた。凶兆のようだ。管制塔は美しい。東京から千葉に向かう際、そして戻る際に見たスカイツリーのイメージと重なる。唯一の権力であり、コントロールタワーである。スカイツリーというネーミングも環境に優しいいいネーミングだったと思う。
 羽田のてんやでは、隣の若い男女の会話が耳に入ってきた。いや、男女と思っていたが一人はとても声の高い男のようだ。こちらから見えるその男の子は眼鏡をかけて黄色い顔をしている。よく聴いていると確かに男の声だが、高いところになると女と区別がつかなくなる。もう一人はだいぶん落ち着いた低い声だ。アキさんという人の話をしている。アキさん目当てとかアキさんはあんなだから誰とでも仲がよくなるとか話している。アキさんが男か女かわからない。反対側を見るとまったく聞こえてなかったがこちらは太った店員の制服の女性とジャージをきた女性だ。見ていてもあまり話の内容が頭に入ってこない。僕は運良く4人掛けの席に案内されたので両横がそれぞれ二人連れなのだが、人間って結構、話すのが好きなんだなと思った。
 院の口頭試問と院入試の間を縫って人口知能学会ことば工学研究会で発表をしてきた。今回は、KDDI研究所の鈴木雅巳さん、モンゴル文化教育大学のアシガイ・デルゲルマーさんとの共著だ。内容はThe Catcher in The Ryeを取り上げてホールデンに自閉症あるいはアスベルガー症候群の傾向があってメタファーの生成と理解が困難なのだという説を提示したのだ。


2014年2月13日木曜日

味覚の言語

昨日の日経に面白い記事が載っていた。味覚の言語という題で作家である宮内悠介という人が書いたものだ。要旨をまとめると以下のようになる。

自分はアメリカに育ちハンバーガーをうまいと思うようにあまり味に固執しない。たまに飲みにいくと椎茸や銀杏を食べる。味覚も言語のようなものではないか、と思ったきっかけはインドで半年くらい暮らしたときだった。毎日のようにカレーを食べたが、カレーが美味いかか不味いか以前に、美味いか不味いかが判然としなかっったのだ。
つまり、食の解釈には文法があり、その文法がその文化にいないとわからない。

味覚は制度化されやすい。思い込みや雰囲気、皿の模様1つで味は変わる。「通はこれを食べるものだ」と思い込むことができればどんなものでもうまく感じられる。

その先には、「物語」化した食がある。

これからはさらに「物語」化が進むかもしれない。それは案外豊かなものかもしれない。

***
これに対して以下のように考える。

味覚は制度化されやすい。→同意

カレーが美味い、不味いではなく、美味いか不味いかの尺度を持たないことに愕然とする → フレームの当てはまらない、前提がなりたたない、という非常に興味深い例で慧眼。

物語的味覚が豊かなもの → 実際の味覚とはそのようなものなりがちだという警鐘として価値があるが、私達はそれをつきぬけなければ行けないし、突き抜けられると思う。そのような物語された味音痴な味覚が豊かなものであるわけがない。不同意。



私はブフ・ブギニョンを作ったとき最後に蜂蜜をだらーっと垂らしたのだ。家族がその味を好むであろうことを考えて。だからといってもとの味は本物だしそれがあるからおいしく食べられるのだと思う。昔友達だったフランス人は日本の料理が甘い、甘すぎると不満を述べていた。調理のローカル化というのはもちろんあるだろうが、いかによい物語があっても美味しくないものを美味しいとはおもはないだろう。秋元さん流にいえば、ハンバーガーにはイノシン酸が入っていて、「おいしい」のだ。ただ、グルタミン酸に制度化されるか、イノシン酸に制度化されるか、その両方に制度化されるかは本当に言語と同様に子供の食生活の影響は大きいだろう。インドのカレーがどのようなうまみ成分でなりたっているかはよくわからない。

ゆめ 24

 次には何食べようか。ここは田舎(ひな)だから定番的な寿司以外にないしなぁ。ガスエビとか、珍しいものはないんだよなぁ。壁にはよくあるポスターが貼られていてebi (shrimp) とか書かれている。さっきは、赤身を頼んだ。あぁ、同じもの頼んだなぁと思ったから最初は中トロでも頼んだんだろう。赤身は鰹のように皮がついていてしかも巨人の拳ほどある大きな塊で、右下から左上に向かって遠心的に扇を描いている。そう、僕は扉から一番奥のカウンターのコの時の右下の端にストーブを背にして座っている。右隣にはコミヤマがいる。高校の時の同級生だ。土間になっているカウンターの奥にその右手の奥には座敷があるようだが、人の気配はない。
 僕はエビを頼んだ。ボタンエビはここでは高いだろうし、かといって茹でたエビが食べたいわけじゃない。さっき、お手ふきかお茶をもらったときに目を合わせたおばちゃんだ。お店の人にはきちんと対応しておくといいことがあるかもしれない。どうします?エビの種類で悩んでいるときに、別の店員だろう、テーブルの上に3つのショットを置いた。店員のいっていることが要領を得ない。コミヤマの斜め隣の、カウンターの長い方の左端に外国人の男がどっしりと腰をかけた。俺たち2人を見ている。敵意のある表情ではないが、セルロイドの眼鏡をかけて、クルーカットの50代に思われる男性だ。ベージュのナイロンの10cmほど刻みで横方向にスティッチが入っているダウンのジャンパーを着ている。
 ショットにはコーラ様の液体が入っていて泡沫がはじけている。それが3つある。鈍角に3つのグラスが置かれていてその左側のを俺は取った。匂いを嗅ぐ。特にこれといった匂いはない。男がおもむろにグラスを取ったので、お前のはこれだろ、という風にコミヤマに目線を送る。おごる、といっているはずなのだろうが、そのへんがよくわからない。男の顔が変わっている。眼鏡はなく、やや悪い顔色に無精ひげを生やしてVネックのニットのセーターを着ている。あちらを向いている男に対して、コミヤマは What are you guys doing? と、聞いている。へえ、こいつ英語使えるんだ、とおもうとともに、一人しかいないのに、guysはおかしいだろ、と考えている。男はこちらショットをつきだし、俺たち2人に笑顔を送ってくる。グラスに口をつけてみるが、ショットなのにアルコールの味がしない。気の抜けたコーラのようだ。なにか、前に使ったときから残ったミルクのような白い濁りが薄く縦にグラスの中に浮かんでいる。男はいつのまにか隣に座っていた外人の女を首に手を回し、ぐっと引きよせている。
 女は濃い化粧でつやのあるグロスをして年齢はかなり上だろう。髪を金髪に染め短くシャギーにしている。斜め向かいの日本人にそのフェーシャルがいかによいか、ということを話している。その子は美容部員をしているかなにかで、顔は四角く、あごがやや尖っていて目が大きかった。三十代半ばだろうか。

2014年2月12日水曜日

関西認知言語研究会 1/下旬

2件の発表があった。

物語世界の構築と指示詞
杉山さやかさん(京都大学大学院) 

「あの」「その」「この」が物語の中でどのような意味を持つかを芥川龍之介作『蜘蛛の糸』とその翻訳を題材にして検討するもの。杉山さんはたいへん優秀な方と思っており、視点を中心とした物語の分析にはとても注目している。今回はややフォーカスが違ったためか、わかりにくいところがあった。指示詞の典型的意味のこれまでの研究のサマリーを明確にだして欲しい。でていたこととは思うが分野に対するこちらの理解が不十分ではっきりと取れなかった。さらに、説明要素にこの過去の日本語学における指示詞の研究以外に、2. 視点の心理学的研究 3. ジュネットの理論を使用している。ここらへんの説明は時間の都合でほぼ割愛されたが、全体の展開として、どのデータをどの理論で分析するのか、意図を明示して欲しい。たとえば、3つの理論があるのなら、それぞれの理論の関係(どのように整合的に収まるのか、または不整合があるならその解消、または今回のデータによって比較など)を事前に明示して欲しいかな。


最近、自分はたいへん批判的になっていてあまり人が寄ってきてくれない。若い人に他人の振りをして伝えておく。一般に自分のことを批判してくれる人の言葉にはよく耳を傾けるべき。その人の意見をよく聞いて、どこにひっかかっているか、自分の意見とどこが違うかを明らかにすることによって自分の理論は驚くほど強くなる。まあ、相手も聞いても分からないと思う人に対しては言わないでしょう。そこは成長するこの上ない、いい機会なので。ぜひ納得がいくまで議論したらいいと思う。そんなときにプライドが邪魔してそこから離れていく人をよく見る。大変、損をしていると思うのだ。


擬音語は「聞く」音?「見る」音?―日英両言語における実験的調査を中心に―
游韋倫さん(神戸大学大学院)

擬音語を日中で比較し実験的に裏付けた発表。大変よくできていた。実験設定も多面的にできていて主張を十分裏付けていたと思う。詳細はご本人の発表のある機会にぜひ聞いてみて下さい。
今回あげられたRQを採録する。

・検討内容 ①視聴覚刺激の有無のよる差異
        ②擬音語の意味の特定性
        ③擬音語の使用の慣習性

①は例えば
音声刺激 (「ぱきっ」という音)
視覚刺激 (「箸を折る画像」または「スイッチを押す画像」)

②は具体的イメージが浮かぶかどうか(「ばきっ」あるいは「ぱちっ」 と特定のイメージ)
③どれだけ擬音語が恣意的かまたは有契的か。(「ばきっ」という音と実際の音がどれだけ似ているか、違っているか。




昭和

台湾から義理の姉が帰ってきている。堺にビッグバンという子供向けの屋内遊戯館のようなものがあるのでそこへいくことになった。平たい円盤型の目立つ建物でテーマは宇宙のようだ。1階には売店があり、2階は宇宙をテーマにしたお絵かきなど小さな子供用の遊戯場、3階は恐竜を配したアスレチック中心、4階が「おもちゃスペースシップ」となっている。しかし、そこのある蛇行したトンネル状の通路の先は、昭和の世界だった。














定食屋がある。郵便局がある。駄菓子屋がある。銭湯がある。パンフレットによれば30年代の昭和を再現したという。電信柱の質感、看板、のれん、民家の表札など、かなり精巧に作り込まれていてリアルだ。ブリキで作られて昔の製薬メーカーの広告なども貼られている。子供と遊んだ後、一人でもう一度、その界隈を回ってみた。町医者、昭和34年にできたという名神高速道路の色あせた白黒写真。解像度の悪い「白黒」テレビ(よく見るとやや青みがかっている)。押し潰されたようなラジオ放送様の音声から、当時の説明が流れる。

昭和。そしてその時にはまだ母は生きていた。そう思うと急にあの時代に戻れることができたらどれほど幸せかと考えた。すべてが悠久のように感じられた時代。そういえば子供の手遊びの場に改造された医院の木製の長椅子に、動くともなく老人が座っていた。今私は同じ顔をしているだろう。

たこ焼き屋の隣にある真鍮でできたノブを引いてみた。開くことがないことがわかっていながら、もしその扉が開き、暗黒が拡がっていたら、私は迷わず足を踏み出すかもしれない。

2014年2月7日金曜日

プレーオフ総括

Divisional Round 以下は、4勝、1勝-1敗 1勝 でトータルの勝敗予測は 6勝1敗であった。

最後のスーパーボウルは五分五分か、デンバーやや優位の報道が強かったのでよく当てたというべきところだろう。最初の4勝はどれもガチの本命だったのであまり自慢にならない。

落としたのはDenver-NE戦であった。最初からデンバーはすいすいとコマを進めて得点を重ね、Bradyは同じようにできずに敗北した。下馬評は明らかにデンバー優位。その通りになった。私は強力な意志の力を持つBradyの力と大勝負に弱いマニングの差でNEが勝つと考えていた。レシーバー不足は否めなかったようだ。

最終戦は、43-8という意外な大差。

虎とライオンの戦いは意外にあっけなく決まるものと思っていたが、どうしてここまで大差がついたか、どうしてデンバーが自分の試合をさせてもらえなかったか、考えた。

確かにスーパーボウルはDが制するという神話は健在だ。パスは緊張でブレがちになるからどうしてもOは思ったような力が発揮できない。

それにしても、デンバーとマニングは「何一つ」させてもらえなかった。それはどうしてだろう。あれほどどのチーム相手でも敵陣を自在に切り開いてパスを通してきたオフェンスであったのに。

最初、強力な前面(Dライン)でマニングにプレッシャーをかけたからだ、と考えた。

しかし同じことをうちのチームがやっても同じ結果にならないだろうと思い至った。

なぜなら、マニングは早く短いパスを通してフィールドをきざんでいくからだ。

結局、全選手が、デンバーのそれぞれの相手と同等かそれより強かった。シアトルは man-to-man (一人一人の力)でデンバーを下したのだ。

考えれば、マニングは究極のシステムQBである。通常、コーチが相手Dのシステムの不備を探し出してそこを突くように作戦を立てる。チーム全体の中での個々の配置を操作することによって相手に打ち勝つ。それがシステムである。マニングは自分でそれをやる。現場にいて、現場から相手Dのシステムに対して自分でチーム全体を調節して対応する。現場でそれをやるから、コーチからの指示を受けるよりもずっとスピードが速い。だからシステムの総合力ではどうしてもデンバーに勝てない。

ところが、システムは他においても、シアトルは個人技でデンバーを上回っていたのである。その分、システムに期待する度合いが低い。システム対システムの今日のNFLにあって、システムでデンバーに勝てるチームはなかった(同様に優れた頭脳を持つコルツ、NEを除いては)。これほど大差がついたのは、シアトルが野生のチームで、そのDがシステムに基づいていないからだ。

実は、デンバーはプレシーズンにシアトルに40-10で負けている。当時、デンバーはシアトルに勝てなかったし、今回もほぼ同様のスコアとなった。このままいけば、デンバーはシアトルにまったく勝てないだろう。デンバーが対戦してきた相手と、シアトルは種類が全く異なるチームなのである。


2014年2月1日土曜日

語用論学会報告

ずいぶん遅くなったが、語用論学会の大会プログラムが見つかったので、さらっと私の見た発表について述べておきたい。

まず、12/7 10:00~ 西阪仰先生の会話分析チュートリアルに参加させていただきたいへん勉強になった。日常の会話をつぶさに見ることによってその中で人間がやっている押したり引いたり寄り添ったり突き放したり持ち上げたり下げたり叩いたり蹴ったりなでたりがよく面白かった。(人間関係は距離と力のメタファーになるなぁ)
追記:なでてほしい、っておねだりしたり、叩くんじゃねえぞ、って事前に威嚇したり。(それもお約束だったり)

推理小説の文体分析―関連性理論の観点からー 中村秩祥子(神戸大学大学院)
推理小説といった「作られた」会話を関連性理論などの言語理論を使用して分析することができることがわかった。面白かった。

Pragmatic development of Japanese learners: A ten-month's longitudinal study of request.
BEUCKMANN, Fusako (The University of Tokyo)
日本語学習者の「お願い」の仕方がどう変わったか。統計を使用しており、興味深い研究であった。(ごめん、時間がたっていて詳細なことまで思い出せないんだ)

The building blocks of Tone-of-voice CAMPANA, Mark (Kobe City of Foreign Studies)
声色、口調とその伝える効果というたいへん興味深い対象を取り扱っていたが論証がなかった。

くびき語法の再考察ーメタファー理論の観点からー 望月雄大(関西大学大学院)
オーディエンスがたくさんきてよかったんじゃないの?りっぱに発表できてたし。プレッシャーかけないように先生は終始下を向いていました。まあ、メタファー理論、どこにでてきましたっけ、って反応は妥当でしたが。

論証的ポリフォニー理論による緩徐法・婉曲語法の分析 大久保朝憲(関西大学)
同僚、大久保さんのご発表。緩徐法というレトリックがあることをここで初めて知りました。デュクロ理論が認知や他の理論でどのように解釈されるのか興味深い。

ポスター
対話におけるメタファーの連鎖パターンー対話相手の反応に現れるメタファーに注目してー
杉本巧(広島国際大学)
お顔を拝見したらどこかで話したことがあった。メタファーの会話分析は今後非常に発展性のある領域と思います。