2014年2月12日水曜日

昭和

台湾から義理の姉が帰ってきている。堺にビッグバンという子供向けの屋内遊戯館のようなものがあるのでそこへいくことになった。平たい円盤型の目立つ建物でテーマは宇宙のようだ。1階には売店があり、2階は宇宙をテーマにしたお絵かきなど小さな子供用の遊戯場、3階は恐竜を配したアスレチック中心、4階が「おもちゃスペースシップ」となっている。しかし、そこのある蛇行したトンネル状の通路の先は、昭和の世界だった。














定食屋がある。郵便局がある。駄菓子屋がある。銭湯がある。パンフレットによれば30年代の昭和を再現したという。電信柱の質感、看板、のれん、民家の表札など、かなり精巧に作り込まれていてリアルだ。ブリキで作られて昔の製薬メーカーの広告なども貼られている。子供と遊んだ後、一人でもう一度、その界隈を回ってみた。町医者、昭和34年にできたという名神高速道路の色あせた白黒写真。解像度の悪い「白黒」テレビ(よく見るとやや青みがかっている)。押し潰されたようなラジオ放送様の音声から、当時の説明が流れる。

昭和。そしてその時にはまだ母は生きていた。そう思うと急にあの時代に戻れることができたらどれほど幸せかと考えた。すべてが悠久のように感じられた時代。そういえば子供の手遊びの場に改造された医院の木製の長椅子に、動くともなく老人が座っていた。今私は同じ顔をしているだろう。

たこ焼き屋の隣にある真鍮でできたノブを引いてみた。開くことがないことがわかっていながら、もしその扉が開き、暗黒が拡がっていたら、私は迷わず足を踏み出すかもしれない。

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