2013年6月22日土曜日

錬金術

のようにように卒論のテーマができていく。

一人は、wonderful, good, excellent, nice, greatという口語的+の評価表現をやりたいと言っていたので前回、コーパスで共起表現を見ることを指示したがその結果を見てみると、excellentとwonderfulに自己表出的機能と対人機能の相違が見られるように思われ、画像検索などもその方向を示唆したのでその比較を選ぶことにした。

一人は呼びかけ語がやりたい、と聞いたことのないテーマを小田希望さんの本を持ってやってきたので、それはいいと伝え、MICASEという話し手の年齢や性別がわかるコーパスを示唆。

一人はworld EnglishesをPRAAT(無料音声処理ソフト)で分析するというテーマだが全然進んでないことが判明。PRAATのダウンロードから指示。

一人は文学にみるアメリカ方言の研究がもともとのテーマだったが方言の日英比較をやりたい、ということだったので、「方言」が「地域言語」とか「言語変種」と呼ばれるようになる社会言語学の議論を踏まえつつ、ゴッフマンのスティグマなどの研究を示唆。

どれも楽しみなテーマである。

2013年6月16日日曜日

ラミネートチューブ

 ラミネートチューブのような白。それが黒に果てしなく近い焦げ茶とが交差する。グロス。グロッシー。なめらかな輪郭をなめらかな物質が作る。
 エッシャーは魚のだまし絵を水面を見て思いついたのではないだろうか。空梅雨の6月が川面に描く画像は図と地の反転を何度も繰り返し瞳を幻惑する。
 長い面談を最後に長い一週間が終わった午後、僕はゆっくりと街に自転車を漕ぎだした。まだ新月の覚めやらぬ金曜日だ。足取りは定まらない。二駅向うの街になんとなく向かう。踏切をふらふらと越え、道ともつかぬ道に入って阪急線と並行した道を行く。二人の子供たちが産まれた産院を右に再び踏切を越える。小さな酒店がある。石井先生のことを考えていた。3月11日に亡くなった。ビールを持っていこうかと真剣に考えていた。あの家ならまだ喪に服しているだろう。私も囚われたままだ。まだ消化しきれていない。2月に普通に話していたのに1か月も待たずに他界した人のことが脳裏から離れない。母が死んでまだ日が浅いからか、生の不条理を突き付けられたままでいる。もっとも、それは正しくない状態ではないかもしれない。すべてが永遠に続く幻想の繭の中でぬくぬくと貪る甘はゆい夢よりはよほど健康かもしれない。
 寿司屋でプレミアムを二本飲んで、真夏のような真っ青の空の下で僕はもう少し戯れていたいと思った。秘密基地に続くトンネルのような高架を左に見ながらJR沿いに走ると視界が開ける。河畔に降りる道があり、右手には芝が広がり高速の下を川がくぐっていく。河口へ。