2014年6月4日水曜日

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 すでに多分一度や二度は書いたのだろう。僕が小学校に入る頃、四日市に引っ越してきて、父は僕を釣りに連れて行ってくれた。それは本当に近くの川で、歩いて3分くらいのところだった。釣りなどをしている人はいなかったから、新しい我々はよっぽど奇異に見えたかもしれない。父は、高校くらいの時に息子が戦死して、夫もなくなったその家のおばあちゃんのところに養子に入っているはずなので、すでに数年はそこで暮らしたことがあるのかもしれない。それとも、東洋紡に勤めている間、20歳から結婚するまで28歳くらいまではそこに住んでいたのか。いや、多分社宅に住んでいたのだと思う。だからあまりそこには住んでいなかったのだと思うのだが、大阪に6年、希望退職で四日に戻ってきて、凱旋のような気分でのびのびしていたのではないか。
 その川は僕が中学校に入った夏、集中豪雨で氾濫してうちは床上浸水してしまうのだが、当時はまだきれいな川だった。木でできて土を盛った橋の上から釣竿を落とす。「はよ」と呼んでいた細い体の魚が面白いように釣れる。エサはない。毛バリという蚊に似た疑似餌だけで何度も何度も釣れるのだ。バケツに一杯になった。僕も釣らせてもらった。3時くらいから始めたのだろうか、陽が傾いて空がピンク色の染まり美しかった。多分バケツにも映っていたのかもしれないが、思い出せないことは書けないのだ。当時、引っ越してきて友達がいるわけでもなく、きっとつまらない思いをしていたはずなので、その出来事はその頃のとても楽しい思い出として記憶に残っている。父と釣りをしたのはそれが最初で最後だ。近所に住む遠い親戚から父は冷やかされたりしたのかもしれない。釣ってきた「はよ」を井戸にいれておいたら二日とたたないうちに死んでしまったからかもしれない。

 大学生で留学に行く前、家族で大王崎に行った。その時には泊まらなかったのだと思う。浜に、虹色のチューブのようなものがたくさん打ち上げられていた。多分、クラゲだったのだと思う。鮮やかで美しかった。

 父を思うとき私は常に憐れみを持って思い出す。それは私の思考の癖だと思う。小学校1年生になって、キャベツ畑にモンシロチョウの卵を取りに行く。モンシロチョウの幼虫はキャベツしか食べない。科学の本に書いてあったのは、幼虫から育ててはいけない、ということだ。幼虫は小さなハチの卵を産み付けられていることがあるが、卵から育てればそうはならないからだ。小さな五角形の模様のついたラグビー型の卵は

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