2014年6月29日日曜日

freakish me

多様性をつきつめるとfreaksという概念に行き当たると思うのだがその連続性がまだつかめない。

「ふつう」と思っている自分が「ふつう」であることを疑うのはまずまっとうな第一歩に思える。

自分で自分が「狂っている」と思えたときがある。意外にみんな「ふつう」ではないのかもしれない。

freakな内なるものを抱えて、それを外に見せないようにしている力は社会的規範で、その力が具体的にどのように働いているかは検証の必要があるが、ひとつは自主的に「ふつう」の概念を共有し、「ふつう」なところを出して、「ふつう」でないところを出さない、という自主規制だろう。

フリークさは近くに寄らないとわからない、ということは多い。特定の人と近しくなってはじめてその人の異様さに気づくことというのはある。そのときには往々にしてすでにその人の磁場にはまってしまっていて抜き差しならないことになっていることもある。

ところでアメフトでfreakという必ずいい意味だ。beast, animal, monster, freak すべていい意味なのである。

日本語でも、野球選手に対して「怪物」は必ずいい意味だ。

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