2012年7月23日月曜日

80.0kg

昨日はカンテ。ふ~。カラコレとか、ぜんぜんわかんないや。

今日は仕事日。起きるのが遅かった。

キーワードはマルチタスク。

機能不全に陥っている。

やりたいタスクとやらなければいけないタスクが重なる。

タスクという言い方はおかしいか。タスクは形式(メールを書く、ワープロを打つ、コピーをする、インターネットサーチをするなど)で定義するのがいいような気がする。しかしマルチプロジェクトというのは変だ。

ま、ともかく、やりたくないタスクがやりたいタスクと重なると困る。

やりたくないのに出てくるのはやらないといけないからだ。

共同行為(学会とか)に関わるのでやらないといけない、(と思う)

そこでどう対応するか。

1.ぶっちぎる。
2.そっちからやる。

ぶっちぎりたいのにぶっちぎってはいけないと思う。そのあたりで逡巡して動けなくなってしまう。


 もう一個メタに飛ぶ。
 今、物語性というか、社会構成主義というか、やりたくないことになだれ込んでしまう、
 なだれこまされてしまうことについてちょっと考えている。死亡フラッグとかも。
 ジュネの話を読んでいるときにもそんなことを考えた。
 人は、無視されるよりも憎まれることを選ぶ。
 そんな風にして悪役の刻印を自ら引き受けていく、といった類の。
 
 考えているのはいい意味においてだ。
 まあ、これを(妥当な言い方かどうかわからないが)カルマ(業)と呼ぶとする。
 カルマを解く術。
 そんなことを考えている。

 まえからダブルバインドを解く方法といったことについては気になっていた。
 いや、ダブルバインドというか、発想の転換?
 以下の逸話を見よ。

 シンガポール人の女の子、ペックが30年前に話してくれた話。
 
 神様は人間を作ってトースターに入れた。
 最初は焼き足りなかった。
 二番目は焼きすぎた。
 三番目にこんがり上手に焼けたのでこれをよしとした。

 この3番目のが黄色人種だ、っていう話。

 まあ、面白いと思うのは、GOOD IS WHITE (<<よいことは白>>)というメタファーとか、
 白人はよい人種という言説とか、逆にBlack is beautifulという言説とかはあって、
 最初は1番でいいとか、最後は真打でいいとか、両端を良いものと考える言説も
 あるわけだけど、そこに中心―周辺のうちの世界でいうイメージスキーマを当てはめて
 価値判断の付け替えをしてる。
 そういうのは生きていくのに大事なテクニックかな、とか、漠然と考えていた。
 
 カルマを解く術の話と価値判断の付け替えの話、どっかでつながらないかな。

まあ、話はもとに戻って、悩むときは、どっちでもいいってことって、昔から自分に言い聞かせてた。
ぶっちしてもいいし、そちらから片付けてしまってもいい。ただそこで立ち止まっていることだけはやめようか。

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