2015年8月9日日曜日

映画評 『晴天の霹靂』

TSUTAYAで見たかったDVDを借りてきた。大泉洋は、『清州会議』でなかなかうまかったし。



ネタバレ注意








あらすじ(Wikipediaより)
35歳の晴夫は学歴もなければ、金もない、恋人もいない平凡な男だ。一流のマジシャンを目指すも、気付けば場末のマジックバーで17年間働いている。売れないマジシャンだ。そんなある日、晴夫はテレビ番組のオーディションを受けることになった。彼にとってはチャンスだった。オーディションでの手応えを感じた晴夫は足取り軽く家路に就いた。合否の連絡を待ちながら、華々しい活躍をする自分の姿を想像し、将来への希望を抱いた。そんな折、電話が鳴った。それは彼が思い抱いていたものではなく、父親が亡くなったという警察からの一報であった。父親の死に茫然としている中、青く晴れた空から雷が落ちる。それを機に彼の運命は大きく転換する。
意識を取り戻した晴夫は昭和48年の浅草にタイムスリップしていた。そこで彼は若き父と母に出会い、自らの出生の秘密を知ることとなる。


晴天の霹靂というのは、晴れた日の雷っていう意味で、そこから、ありそうにないことという意味になったんだね。

ここでの「マジック」はもちろん、タイムスリップというトリックだ。

父が「死んだ」うだつのあがらないマジシャンの晴夫は、晴天の霹靂を受けて、昭和の河畔にタイムスリップする。

そして、父に会うんだ。

認知言語学的に見ると、これで、メンタルスペースが形成される。


昭和47年のスペース              現実スペース
晴夫の父                    晴夫の父(老人、死亡)                  
晴夫の母                     (家庭を捨てたと言われている)
晴夫(お腹の中)                晴夫(35才)

そして、晴夫は、インドから来たペペという役名をもらって、中国から来たチンという役名を持つ同じマジシャンの父とコンビを組む。

これはブレンド(融合)だね。フォコニエとターナーの融合理論の。

親子なのに、コンビを組んでいる。それが面白いな。

それから、母親がいない理由を晴夫は次のように聞かされていた。

「父が他に女を作ったので、母は家族を置き去りにして逃げた」

でも、実際には違っていた。

「晴夫を生むときに、胎盤剥離?という障害が起こり、子どもの命か、母親の命か、という状況になり、母はどうしても生みたいといって晴夫を産んで死んだ。」

そして、子供が生まれたので責任を果たさないといけないと思い、父はマジシャンをやめホテルの清掃をして晴夫を育てた、っていうのだ。

っていうと重いだろうから、「俺が女作ってそれで逃げられたとでも子供には言うか」と父はいうのだ。

クライマックスは、死に至る母(柴崎コウ)に、息子の晴夫が、「あなたは、晴夫が生きる理由です。」と伝えるところ。

父は女を作った。
母は俺を捨てて逃げた。

だから俺はダメなんだ。

とずっと思ってた。

でも本当は、自分の命に代えてボクを産んでくれたのだ、母は。

と知って、うろたえた晴夫。そんな大事な命を回りのせいにしてぐだぐだしていてはいけない、と心を入れ替える=一つ大きく大人になる。

熟れないマジシャンとして生きる自信すら失っていた晴夫は、父と二人のコンビで到達した、TV番組に出るオーディションの決勝に一人で出場。お笑いではなく、マジックで人々を驚かせ、大喝采を受ける。





父と子。母と子。類型的な、誰もが持つ関係。類型性があり、感情移入できる。

そして、愛とは自分を越えて他人に関わること。 V. E. フランケル。








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