2012年8月20日月曜日

noise

カラコレを聞くのに過去のブログを見た。にいちゃんの歌を確認してから、バレエ団の方を聞こうかと思って消した。ノイズが耳元に残っている。録音ごとにノイズが違う。ノイズは現実との距離や種類を表しているのではないか、とふと思う。

J. J. Gibsonが現実感について話している部分がある。ギブソンは絵画や写真はいくら上手でも現実と違うことははっきりと認識できると述べている。それは特定の視点からだからだ。特定の視点をとったものにはその視点にまつわる「ノイズ」パターンがかかる。そのノイズは現在の視点から見るノイズと異なるのだろう。

そのように、メディアや年代、録音状態によって音(写真)はノイズに履歴/スペース を刻んでいる。


ギブソンによれば現実感を区切るものは(少なくとも)もう1つあって,当然のことながら、文脈の問題,すなわち、絵画や写真はどこかで終り、そこから不連続的に異なる世界が始まるー縁(ふち)ーが存在するということだ。

そして

ある空間での拡張をどこかで切り取る作用(縁)がメトニミー
ある空間を横断的になんらかの視点で切り取る作用(ノイズ)がメタファー

に対応するのか、だから、メタファーは視点に依存するのか、と思い至ったわけである。


noiseに関しては

tune in
tune out

という概念が個人語としてある。こちらは次のお題に。

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