2012年9月22日土曜日

身体変形と役割

いろいろ書こうとしたことが瞬時に頭を巡って文章になって、文章にしないまま、消えていってしまう。

体重の話。

81.2kgであった。そのせいではないが、もう体重の話は書かないでおこうと考えている。
少なくともタイトルはやめるかな。

ここのところ、80kgをちょっと越えるくらいで推移している。東京にいって、また出張太りをしてしまってからちょっと下がってきた。今日、なんで、書こうと思ったかというと、1kg増えたからだが、その
1kgがどうも筋肉の1kgだからだ。77~78kg台のときは筋肉が59kg前後だったが、80kgを越えて60まで戻っているが、(まあ、ある程度逆算してるんだろうが)この数日間で1kgくらい増えた気がする。どうして気がする、というかというと筋肉の重さはあまり気にしてみてなかったからだ。昨日はテニスをして豆を大量に炒って食べて、腹筋をした。げに筋肉はつきやすし。脂肪よりつきやすいんじゃないだろうか。身体変形。Oakland RadiersのAusberryという選手がレシーバーというポジションからタイトエンドというポジションにコンバートされて、20lbs(8kg)増やして試合に試合に臨んでいる。この間、彼が試合でボールを取るのを始めてみたが、それはもう、

http://cdn0.sbnation.com/imported_assets/1197863/raiders2.gif


その体重とモメンタムがどのようにはたらくか、よくわかるプレーだった。ここからふたつの方向に連想が拡がる。ひとつは、身体変形の論文の思い出、もうひとつはAusberryとタイトエンド、個人と役割の話だ。

身体変形の話
身体変形というのは1つのジャンルをなす。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E6%94%B9%E9%80%A0 数年前のゼミ生のリサがイレズミについて卒業論文を書いている。そのとき、「アービン・ゴフマン的な、社会と儀式的な、相互行為的な、スティグマ的なのを書いて欲しいな」といったら、一緒にいた、社会言語学系の先生二人が、Goffmanにまさに、Stigmaっていうタイトルの本があるよ、と教えてくれた。そう。私の高校のときのサルトルの「聖ジュネ」の理解では、「無視されるより嫌われる方がいい」ということだったが社会のアウトサイダーの刻印を自らに刻む主体的な行為としてイレズミ。卒論の内容に関しては忘れた。ごめん。よくがんばったということは覚えている。

個人と役割の話
タイトエンドは将棋で言えば桂馬、『アメリカで最も美しい50人』に選ばれたこともあるチャッキーこと元レイダーズ監督グルーデンによれば、トランプで言えばジョーカーだそうだが、タイトエンド(TE)という役割には、体がでかい、その割りに脚は早い、球を取れる、ブロックができるなど、特定のイメージがある。それは何百人という過去のTEが築いてきたものだし、それらが少しずつ変化させてきたものともいえる。結局、役割というのは関係であり、TEの価値は、11人の攻撃の選手、相手の11人の守備の選手との関係性の中で決まる。
テニスをしていた。12人がいるとする。


それぞれの人には1~12の番号がついている。それぞれの位置に並んでそれぞれのプレーを練習する。2~3分毎にローテーションをする。そういうことをやっていた。そのときに、トマセロ(Tomasello)の社会性学習の重要なポイントは、1歳の子供には

1.「共同注意フレーム」の構築
2.伝達意図の理解
3.役割交代を伴う模倣

ができるようになるという(Tomasello, 2008, 『ことばをつくる』p. 45.)。




テニスの練習も「役割交代」だな、と考えてた。役割の中身は個人の力量によって大きく変わってくる。そのには役割の要求する内容と個人の力量の「折衷」がある。








0 件のコメント:

コメントを投稿