2011年12月16日金曜日

自分にとって一番大事な何かをやめること

自分にとって一番大事なことをやめること。そうすることによってしかなしえないことというのがあるかもしれない。大事なこというのはこの場合、ある自分にとって、ということだが。最近、Oakland Raidersの情報収集に夢中になっている。Oakland断ちをすることによってのみできることがあるかもしれない(例えば、ブログをこまめに書くとか...)。時間の使い方の置き換え。価値付与のシステムの変更。
 英国認知言語学会の締め切りが延びた。ラッキーと思い、手元に止まっていた葉書をポストに出しに朝焼けの構外に出る。坂道を下るとカラスが数羽、餌を取り合っているのだろうか、高い空でもつれ合っている。あの子たちも、普段は仲のよい友達なのだろうか。
 昨日は2年生と懇親会だった。後期で人数が少ないとみんな成人しているという奇跡的なことが起きる場合があることがわかった。早速、先日思いついた「格言」を披露した。夢を持つことは権利である。しかし、夢を叶える努力をすることは義務である。これは、実は自分に向けた言葉だった。もう50歳、夢なんか語ってる時期じゃねえな、と思いつつ、夢とかなくなったら自分は何をしたらいいんだろう、と途方に暮れるしかなさそうだ。叶わぬ夢。ところで「かなう」という語は訳しにくいへんな語だ。「鼎(かなえ)」からきているのか。3本足で立つ器。
 僕は父と車に乗っている。僕が運転している。二人の前には眩い未来がある。いや、あるのは明るい空だけだ。僕は、父に話しかける。高校生の頃、よく僕を駅まで送ってくれたよね。アメリカから戻ってきたときだって、税務署や市役所によく連れて行ってくれた。あれは10年前だね。僕達は琴がスピーカーから流れる和食の店で天麩羅を食いながらそんな話を続けている。私だけがしゃべり続けている。これは4日くらい前の話だ。

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