2012年10月23日火曜日

虎目石

7ヶ月前にオフィスの引っ越しをして、2ヶ月くらい前にその石が見つからなかった。捨ててしまった、と思った。当時は何もかも捨てることを考えていた。いや、持ち物の話であるが。そして、夏になる前、その石が見つからなかった。大変な事をしてしまったと思った。僕はその石がどのように入手されたかを覚えている。それは多分僕が幼稚園のときで家族は大阪から名古屋の近郊の街に引っ越して戻ってきたのだった時だったと思う。仲人の人のところへ挨拶にいったのだった。たしか「へいし」さんといったと思う。今、ネットで調べると「瓶子」か「幣司」かだろうか。夕食をご馳走になって楽しいひとときをすごした。その帰りに、石が趣味のへいしさんは父にどれでも好きな石を持っていきなさいといったのだ。うちの父はこの石を選んだ。一番小さいのを選んだのだ。遠慮したのだろうと思う。どれでもいいんだよ、とへいしさんはいった。これなんかどうだ。子供心に、もっと大きいのを選べばいいのに、と僕は思った。家に帰った。父は特段喜ぶでもなく、その石は長い間タンスの上に置かれていた。僕はこの石の色は嫌いではなかった。そして楽しかったひとときの想い出とつなぐ結び目になっていた。
 実家をたたむのに近い形になり、僕はこの石を自分の仕事場に持ってきた。この石が自分のものになる、それは悪い気はしなかった。別に誰も所有権を主張していたわけではなかったが、自分のものと考えるとそれは喜ばしい気がした。オフィスの引っ越しをする際、それはなんの価値もない重いだけの邪魔者に思えた。2ヶ月前、それがなかったとき、僕は大変なことをしてしまったと思った。その石がなければ、あの幼稚園の時の楽しい帰りの夜と今の僕をつなぐものがなくなってしまう。どれだけ記憶に残っていてもその石の詳細は思い出せない。あの石の色、形、重み、肌触りが永遠に私の手からすり抜けてしまう。
 その石が今日見つかった。雑多に置かれた段ボールの中に入っていた。多分これを僕は自宅に持っていくだろう。妻が捨てさえしなければ息子にこれは大事な石なんだよと教えてあげるだろう。大きくなったら君にあげるよ。この石の意味を息子はいつかわかるときがくるだろうか。それまでこの石は息子の近くに居続けることができるだろうか。

この石の名前が知りたいと思い、ネットを探した。下の写真は虎目石という石である。写真で見ると右のものは黄色の色目が違うが、色にはかなり幅があるようだ。虎目石だといいな。そういえば、「へいしさん」は確かに、これは珍しい石でね、といった。とらめいし、と言ったような記憶が芽生えてきた、ともかく、子供にもわかるちょっと素敵な名前だったのである。












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