2012年10月23日火曜日

こんな風な思考回路。generalization and precision

さっきの話だが、ももいろクローバーZのことを考えていて、Killer Queenのことを考えると、一般化が生まれる。両者には歌手という共通性があるから比較しても当然かもしれないが、作品作りという一般化や有名になるというレベルで一般化できるかもしれない。

こういった一般化のプロセスには

構造的対応
比較
既存のカテゴリー

などが関わっている。

というのが現在の心理学的メタファー研究/アナロジー研究だと思うけど、まあ、使えるものはつかっていいんじゃない?

むしろ、カテゴリー化に比較や構造的対応関係がどのように関わっているか、


カテゴリー化と抽象化の違いは何か

といった話が重要になる気がする。


ところで、Generalizationはパワーだと感じる。

一般化、抽象化すると、個別事例にはない予測性が発生する。そして、比較や構造的比較に使用された二者以上の成員(カテゴリー的考え方)なり、個別事例(一般化、抽象化の考え方)の振る舞いを予測したり、それを期待したり、あるいはそれを押しつける「力」が発生する。だから、一般化・抽象化は力だと感じる。


一般化というとき、僕は工業生産モデルを併用している。たくさんの機械で同じ顔をしたものを千、3000、1万、10万と大量に作る(3000を特に記入したのは、ソニーに勤めていたとき、「どんな複雑なものでも3000売れるものを作ればもとはとれる=その変動費は無視可能になり、それにかけた固定費は回収できる」と考えたからだ)。輝く鋼鉄の装置によって千、万、十万のものが同じ形に切られていく。大量生産だから精度が上がる。精度は神であり力である。そう、量が増えると精度が上がるという一見反対に見える性質が重要である。

経験も同じだ。場数を踏めばうまくなる。そして綺麗になる。

大量生産というのがむしろ、人間の経験のモデルを原点にしたメタファーといえるかもしれない。


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